2018年10月28日日曜日

平成30年度民俗芸能学会大会

民俗芸能学会の大会が成城大学で開催されます。
本研究会の参加メンバーも多数登壇します。

日時:2018年11月25日(日)
会場:成城大学(東京都世田谷区成城6―1―20)
   3号館2階321教室、322教室、32A教室
スケジュール
【受付開始】10:00~
【開会挨拶】10:30~10:40
 大会実行委員長 俵木悟
【研究発表】10:40~12:40
 1.荒木真歩「映像比較による芸態変化の一考察」
 2.伊藤純「風流獅子舞文書のテクストと芸能実践」
 3.松岡薫「北部九州における俄の上演―形式・演目・即興性―」
 4.下田雄次「民俗芸能伝承プロセスに主眼を置いた調査/記録
                ―映像記録を用いた伝承支援の試み」
【昼食休憩】12:40~14:00
【シンポジウム】14:00~16:20
 テーマ「民俗芸能研究の新しい視点に向けて」
 趣旨説明 俵木悟(成城大学)
 パネラー 川﨑瑞穂(日本学術振興会特別研究員)
      鈴木昂太(総合研究大学院大学)
      塚原伸治(茨城大学)
【本田安次賞授与式】16:30~16:40
【総会】16:40~17:30
【閉会挨拶】17:30~17:40
 代表理事 髙山茂
【懇親会】18:00~20:00

大会参加費:会員/事前振込1000円、当日受付1500円
      会員外1500円
      学生無料
懇親会費:4000円(学生2000円)
昼食代:1000円(希望者のみ)

問い合わせ:03-3208-0325(民俗芸能学会事務局/火曜13:00~16:00)

2018年10月1日月曜日

第十一回研究会のお知らせ

第十一回研究会のお知らせです。

議論への積極的な参加を歓迎します。
事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)




日時: 2018年10月27日(土)14:00~
会場 :早稲田大学戸山キャンパス39号館5階 第5会議室
   (新宿区 戸山1−24−1)
※会場予約の関係により、通常の会場とは異なりますので、ご注意ください。

 報告1:伊藤 純(川村学園女子大学)
「「民族舞踊」考―戦後の演劇・教育の潮流と実践の整理から―」
 昭和40年代、日本における民俗芸能の舞台化に関する議論が、研究者・舞踊家らの間で過熱し、実現には至らなかったが、国立の舞踊団設立も検討された。民間では国際芸術家センターの「日本民族舞踊団」がこの時期に活動をはじめている。一方、戦前には東宝舞踊隊が、戦後には宝塚歌劇団「日本郷土芸能研究会」(昭和33年~)が民俗芸能を取材し舞台化を行っている。また、わらび座(昭和38年~、「海つばめ」「ポプラ座」)などのいわゆる民族歌舞団による舞台が独自の制作理念に基づき制作された。民俗芸能研究にひきつければ、こうした舞踊家たちの実践に呼応するように、昭和40年代は民俗芸能の舞台化について注目された時期とみることができる。当時の舞踏家の動向と民俗芸能の舞台化については、おもに音楽史の立場から整理されている。
 この時期の民俗芸能を取り巻くもう一つの流れとして、民族舞踊教育運動が注目される。これは「日本の子どもに日本の踊りを」をスローガンとし、保健体育の教員らが主導した教育実践である。教員と子供みずからが各地の民俗芸能を学ぶ教育法は日本のダンス教育に一石を投じた。学校組織を通じて瞬く間に広まったこの実践は、縁もゆかりもない地域外の人びとが民俗芸能を実践するという新たな形式にもなった。
 これら諸実践は「民俗」よりも「民族」を積極的に掲げているところに特徴がみられる。実践形態はさまざまであり、そこには径庭もあるが、民俗芸能という対象は、当時の彼らにとって既存の価値観にはない魅力的で可能性に満ちた対象であった。そして、「民族」をとりまとめるキーワードでもあった。舞踊家らの活動と教育実践、民俗芸能研究。本発表では一見するとバラバラに展開したように見えるこれらの動向を、思想的源流を辿りながら共通点を探り、現在の民俗芸能を考えるうえで重要な実践のひとつとして付置させてみたい。


 報告2:田邊 元(富山大学)
「撃剣家、舞う―武術家日比野雷風の近代―」
 これまで日本の武道史は近世から行われてきた武術が、近代化という社会的状況の中で「武道」として行われるようになる過程を描いてきた。近代を迎えその意義が問われることになった武術は、正課教育への編入を生き残りの道とし、殺傷技法ではなく人格形成を目的においた今日的な武道へとなっていく。武道史は、戦前の武道統括団体である大日本武徳会の成立や、試合制度の確立、学校教育への編入など、制度史的な面について研究蓄積をあげてきた。ただし、その際に対象とされてきたのは剣道や柔道であり、近年は合気道や弓道の研究などもみられるようになってきたものの種目史的偏りがみられ、またそれらの種目史も中心的な組織を主とするものである。このような研究状況はあたかも近代における武術の系譜が、そのような中心的な組織により回収されていったかのような錯覚も感じさせる。しかし武術が必要とされなくなった近代、武術とそれを身に付けた武術家たちは様々な形で新時代を生き抜こうとしてきた。
 本報告では武道史の研究成果を踏まえつつ、明治期に撃剣から誕生した「剣武術」を対象とし、近代を生き抜こうとした武術の一系譜を示す。剣武術は今日も行われる「剣舞」に連なるものである。これまで剣舞とは、自由民権運動の中で現れた「壮士」と呼ばれる人々の「壮士的実践」として描かれてきた。剣武術とは武術家である日比野雷風という人物により創始されたもので、壮士たちが行う剣舞と実践内容に類似する部分もあるが、彼は武術として世に喧伝した。その活動は組織的であり、その様子は「開会前已でに二千数百の入場者で」、「勇壮なる剣舞を演ずるや、ヒヤ〳〵妙々の賞声四方に起り、観覧人をして殆んど聾せしむる程なりし」と新聞記事に書かれるほどの盛り上があった。武術が必要とされず生き残りに苦心していた近代に、剣武術はいかにして社会に地位を築き、その意義を示したのかを考察していく。

2018年5月25日金曜日

第十回研究会のお知らせ

第十回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)




日時:2018年7月1日(日) 14:00~
於 :早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
(〒169-0071 東京都新宿区戸塚町1-101 高田牧舎2F ℡03-3203-0363)

報告1:半戸 文 (國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻博士課程後期)
「芸妓のもてなしと芸―1920年代から30年代を中心に―」
 芸妓や花街は江戸時代に誕生したものであり、近代以前の伝統的なイメージをもたれているが、近代において大きな発展を遂げたという事実はあまり知られていない。東京において芸妓の需要が高まったのは、東京に集中する政治家や財閥などの富裕層が積極的に利用したこと、また大都市において庶民の娯楽消費が拡大したためだと考えられる。昭和戦前期の東京では、都下50程度の下町(旧市街)や、山の手(新興地域)から小規模町村に至るまであらゆる地域で営業を行っていた。
 本報告では、花街を遊興空間(飲食を含む娯楽空間)、芸妓を接客業従事者として位置付け、東京における芸妓の職掌とその特徴を明らかにすることを目指す。芸妓の本来の職掌は、宴席にて芸を演じて客をもてなすことである。そのために必要な芸の基礎的な習得過程と、さらに上級的な習得過程について、三味線音楽を中心に事例を取り上げて実態を明らかにしたいと考える。
 さらに、明治期後半からカフェが出店をはじめ、徐々にカフェの女給は同じ接客業者として、芸妓の競合相手と目されるようになる。時代のニーズと都市の発展による娯楽の多様化に伴い、芸妓のもてなしのあり方も変化する中で、芸に特化した芸妓と、女給同様の芸妓に分岐していった背景とその流れを示すことを目指す。


報告2:松岡 薫 (筑波大学博士特別研究員)
「俄の演技にみる反復性と一回性―熊本県南阿蘇地方を事例に―」
 俄(にわか)とは、どのような芸能なのか。
 芸能辞典で調べると、「素人の即興芝居」(郡司正勝1952「俄」国劇向上会編『藝能辞典』東京堂出版)や、「即興で思いついた芸能」(宮田繁幸2010「にわか」神田より子・俵木悟編『民俗小辞典 芸能』吉川弘文館)だと説明される。また、郡司正勝はその著作のなかで、俄について「にわかに仕組んだ、つまり即興劇」であり、「一回切りの、二度とはやれないという「一回性」」が俄の本質だと述べる(郡司正勝1977『地芝居と民俗』(民俗民芸双書58)岩崎美術社)。このように、「即興的」で「一回的」な演技であることが俄の最大の特徴だと、これまでの研究では強調されてきた。
 しかしながら、発表者が長年調査を行ってきた熊本県阿蘇郡高森町で演じられる俄は、半月間にわたる稽古期間を経て演じられるものであり、その演目内容や、俄の特徴である最後の「落とし」は、上演の場での思いつきや即興で演じられるものではない。さらに、上演の前後に述べられる「口上」や「御花の披露」は決められており、「落とし」の場面でも定型的なやり取りが観察できた。確かに高森町の俄でも即興的で一回的な演技が指摘できるが、他方で同一の演技を反復的に演じている点も指摘できる。つまり、こうした一回的な演技と反復的な演技が、俄の演技を構築しているといえる。
 本発表では、熊本県高森町で演じられている俄を事例として、上演の場において演者たちがどのように俄が演じているのかを、祭礼での上演の観察から分析する。さらに、俄の演技がいかに作られ、習得されているのかを明らかにするため、稽古の場にも注目する。最後に、これらの分析から俄の演技にみる反復性と一回性について検討したい。

2018年4月23日月曜日

民俗藝能記録映像上映会のお知らせ

成蹊大学日比野啓研究室と共催で記録映像の上映会を開催します。
解説等はありませんが、たくさんの作品を一日で見られる貴重な機会です(途中入退場も可)。お気軽にご参加ください。

日時:5月20日(日)13:00開場
会場:成蹊大学(武蔵野市吉祥寺北町3-3-1)6号館6階601A会議室

タイムテーブル
13:10 伊那人形芝居 -明日へつなぐ伝承のチカラ-(36分 ・ 2010年)
14:00 鬼来迎 鬼と仏が生きる里(38分 ・ 2013年)
14:50 われは水軍 -松山・興居島の船踊り-(33分 ・ 1998年)
15:30 神々のふるさと ・ 出雲神楽(41分 ・ 2002年)
16:20 イザイホウ 神の島 ・ 久高島の祭祀(49分 ・ 1966年 ・ 海燕社)
17:30 若衆たちの心意気 -烏山の山あげ祭り-(34分 ・ 1983年)

入場無料 ・ 事前予約不要 ・ 入退場自由
※特別の注記がない映像作品は全てポーラ伝統文化振興財団の提供によるものです。感謝の意を表します。

2018年2月14日水曜日

第九回研究会のお知らせ

第九回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)




日時: 2018年3月10日(土)14:00~
於 :早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
  (新宿区戸塚町1-101 高田牧舎3階)
発表者
 黛友明(神奈川大学国際常民文化研究機構共同研究者)
 小泉優莉菜(博士、歴史民俗資料学、公益財団法人 ポーラ伝統文化振興財団学芸員)

報告1:黛友明(神奈川大学国際常民文化研究機構共同研究者)
「「素人」と「専業者」を分つもの、繋ぐもの」
 民俗芸能についての定型的な説明のひとつに、「専業者ではない素人(農民)の芸能」というものがある。これは、能や歌舞伎といった伝統芸能でも、落語や講談、浪花節といった大衆芸能でもないものというニュアンスを含んでいる。ただ、芸能史と不可分に成立してきた民俗芸能研究では、実際には、生活の糧を得るための「専業者の芸能」も射程に入れたうえで調査研究が進められてきた経緯もある。歴史的にみれば、多様な宗教者や芸能者が各地の民俗芸能の成立に関与してきたことは否定できないため、それは当然のことであった。だが、そうなると、「素人」と「専業者」という枠組みが、逆に足枷になるのではないかとも思えてくる。
 もちろん、「素人の芸能」という言い方は、便宜的なものであり、わかりやすく対象を研究者以外にも伝えるために有効なものだろう。だが、そうであるがゆえに、何となく人びとを納得させてしまう、民俗芸能という言葉のイメージと問題点が、凝縮して表れているのではないか。
 本発表では、発表者が継続してきた「専業者の芸能」である、伊勢大神楽を取っ掛かりとしながら、「素人の芸能」という説明を「民俗」という概念との関係で理解しながら、芸能文化に対する民俗学的な研究のあり方について考えるための問題提起としたい。


報告2:小泉優莉菜(博士、歴史民俗資料学、公益財団法人 ポーラ伝統文化振興財団学芸員)
「かくれキリシタン信仰再考―オーラル・ヒストリーを視座として―」
 「かくれキリシタン信仰」と聞くと、多くの人は、江戸期の弾圧や処刑、踏み絵などを思い浮かべるだろう。しかし、この信仰は過去の遺物ではなく、現代においても綿々と受け継がれている。発表者は今までの研究の中で、高度経済成長や世界遺産登録活動が、信仰形態に大きな影響をもたらしていることを明らかにした。現代の伝承者の語りに耳を傾けると、われわれが「キリシタン」という言葉に抱いてきた「血生臭く神秘的」なイメージの裏には、より現実的な生活の営みがあったことを知ることができる。本発表では、今までの研究を振り返り、オーラル・ヒストリーが、「かくれキリシタン信仰」に対するイメージの再考を促す有力なアプローチであることを示す。