2017年10月25日水曜日

現代民俗学会第40回研究会 「競い」の光景―祭礼・芸能・スポーツ研究を展望する

現代民俗学会で本研究会のメンバーを中心とする企画が催されます(芸能文化研究会の催しではありません)。
現代民俗学会のサイトはこちら

――――――――――――――――――

第40回研究会(予告) 「競い」の光景―祭礼・芸能・スポーツ研究を展望する
日 時: 2017年12月17日(日)14:00~17:30
会 場: 早稲田大学早稲田キャンパス3号館304教室

発表者:
 伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター)
 「「競い」にみる祭芸分離の諸相」
 中里亮平(長野大学非常勤講師)
 「綱引きからみるスポーツと民俗の間」
 田邊元(富山大学芸術文化学部)
 「「技法の復興」を目指す人々」
コメント:
 阿南透(江戸川大学社会学部)
コーディネーター:
 伊藤純

趣旨:
 祭礼や芸能・スポーツにおける「競い」の光景は、 時として見る者を魅了し、「競い」 の当事者たちの社会的背景を見る者に想像させる。それは「 彼らは何故、あれほどに熱狂しているのだろうか」 という他者理解への素朴な問いの姿でもある。もっとも、 ここで示す「競い」とは、派手で大掛かりなものだけでない。 日常生活で醸成されたライバリティが発露する場合や、 一見すると見過ごされがちな「競い」の場面もある。あるいは、 思いがけないきっかけで祭礼や芸能が開かれ、「競い」 の仕組みが形成されることもあるだろう。 こうした様々な局面で表れる「競い」 の事象に民俗学は長らく関心を寄せてきた。
 「競い」に注目することは、 おもに次のような問題群において考察の有効性が認められよう。 第一に「競い」によって引き起こされる祭礼や芸能の競技化・ ゲーム化・共同体化といった変化の構造について。第二に真正性、 巧拙、審美、楽しみ、ウチ/ソトの基準といった「競い」 の場面で露わになる社会的感性について。第三には「競い」 を引き起こす社会制度や地域経済、コマーシャリズム、 プロフェッショナリズムなど社会的要因について。第四には「 競い」の場において異なるグループを行き来し、 立ち振る舞いながら調査・ 研究を行う民俗学者じしんのポジショナリティについてである。
 そこで本研究会では、芸能研究の立場から伊藤純氏が「芸の技巧化によって開かれるネットワ ーク」について、祭礼研究の立場から中里亮平氏が「綱引きからみるスポーツと民俗の間」について、スポーツ人類学の立場から田邊元氏が「技法の「復興」を巡る実践」について報告し、 阿南透氏を交えて討議する。これまで「競い」 について注目してきた祭礼・芸能・ スポーツ研究のそれぞれの論点を見直し、 さらに事例をもとに芸能・祭礼・スポーツ研究の可能性と問題点、 今後の展望について議論する場としたい。 (文責:伊藤)

伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター)
「「競い」にみる祭芸分離の諸相」
 民俗芸能では、集団への加入とともに先輩らの芸を学習・修練し、また近隣の芸能や類似の芸能どうしの交流のなかで、求め/求められる芸を体得していく。換言すれば、芸能の身体伝承とは彼我の芸の交渉のなかで作り上げられていくともいえる。こうした芸の形成過程において、度々あらわれる競いの局面は自らの芸を省みる絶好の機会といえよう。
 本報告では、舞台芸術として市民権を得た和太鼓文化との接触を機に、ネットワーク的にその芸が広がった民俗芸能を事例とする。従来の祭の原理とは異なる「競い」の場に立ち、集団内・集団間で相関的に芸の巧拙が生じていく過程について考察していく。

中里亮平(長野大学非常勤講師)
「綱引きからみるスポーツと民俗の間」
 なぜ、スポーツ社会学やスポーツ人類学という研究分野は存在するが、スポーツ民俗学という研究分野は存在しないのか。その理由については様々な解釈が存在するが、本発表では同じく近代に見出された概念である民俗とスポーツの差異から、民俗とは何だったのかという問いについて再考する。
 事例として取り上げるのは、綱引きである。綱引きは、祭礼などで行われる民俗行事としての綱引きとスポーツとしての競技綱引きが共存している点で、この問題について考える際に恰好の題材である。勝敗を巡って明確な形で競い合う点では同一でありながら、その勝敗の基準や様式などにおいて異質である2つの綱引きの差異から、競い合うことからみえる民俗について考察したい。

田邊元(富山大学芸術文化学部)
「「技法の復興」を目指す人々」
 我々が身近に親しむ、いわゆる「スポーツ」は近代に誕生したものである。「競技」として行われる今日のスポーツの在り様は、時として「スポーツ化」とされ批判の対象にもなる。その代表的な種目が武道である。武道は、自らの在り方として競技的に行われることを時に否定し、今日に至っている。
 本報告では、今日では民俗芸能として行われる武術を対象に報告を行う。その担い手たちは、「スポーツ化」し競うような武道の姿を否定的に考え、そうではない姿を思い描き、失われた技法の「復興」を目指す。このような「復興」において承認される技法を通じて、「競う」・「競争」といった現象を逆照射し、考察していく。

共催:科研費基盤研究(C)「都市祭礼における「競技化」の民俗学的研究」(研究代表者:阿南 透)

2017年9月4日月曜日

第八回研究会のお知らせ

第八回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)





日時: 2017年10月15日(日)14:00~
於 :早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
  (新宿区戸塚町1-101 高田牧舎2階)
発表者:曽村みずき(東京藝術大学大学院)、矢嶋正幸

報告1:曽村 みずき (東京藝術大学大学院)
「薩摩琵琶の音楽構造―鶴田流を中心に―」
薩摩琵琶は、明治時代以降の東京進出により普及していった近代琵琶楽の一つである。薩摩琵琶には大きく分けて四流派(正派・錦心流・錦琵琶・鶴田流)があり、分派を経て成立した。本発表は、薩摩琵琶の複数流派の楽曲分析を通して、薩摩琵琶の音楽構造を体系化することを目的とする。
楽曲分析では、最も新しい鶴田流を中心に、錦心流、錦琵琶の三流派を対象とする。鶴田流は錦琵琶から分派して成立したが、その一方で音楽的には錦心流に立ち返ると指摘されてきた。この三流派を分析対象とすることで、流派の変遷や流派同士の関係性をより具体的に提示し、鶴田流での改革を明らかにする。
音楽構造の分析では、これまで中世・近世の語り物音楽の構造分析に用いられてきた「積層分析」および旋律句におけるフシの特徴を示す三分類「吟誦・朗誦・詠唱」に着目する。「縦」の音楽実態を示してきた積層分析へ、「横」の特徴にあたる旋律句の定型分類を併行することで、薩摩琵琶の音楽構造を概括的かつ詳細に捉えることを試みる。

報告2:矢嶋正幸
「国家に要請された民俗芸能―大正天皇悠紀斉田について―」
愛知県岡崎市の無形民俗文化財となっている「大嘗祭悠紀斉田」は、大正天皇の大嘗祭に当たって悠紀斉田に選ばれた岡崎市六ツ美の田植え歌・田植え踊・装束及び用具・記録が一括して指定されたものである。現在も6月になると悠紀斉田跡地では「六ツ美悠紀斎田お田植えまつり」が開催され、統一した衣装に身を包んだ早乙女たちの歌と踊りとともに田植えがおこなわれている。この田植え歌と田植え踊は、もともとこの地に伝承されたものではなかった。大嘗祭に合わせて新しく作られたものである。平安時代の大嘗祭では悠紀・主基それぞれの風俗舞が舞われていた記録があるが、田植え踊をしていたという記録はない。つまり近代に入って新しく作られた風俗なのである。なぜこのような新しい芸能の創作が要請され、現在まで伝承され続け、文化財にまで指定されるようになったのか。近代という時代性にスポットを当てながら明らかにしていきたい。

2017年5月5日金曜日

シンポジウム:ユネスコの無形文化遺産保護をめぐる「当事者」と「文化仲介者」としての実務担当者の役割

シンポジウムの案内をいただきましたので転載いたします(芸能文化研究会の催しではありません)。

――――――――――――――――――――――――――

成城大学グローカル研究センター(CGS)主催シンポジウム
ユネスコの無形文化遺産保護をめぐる「当事者」と「文化仲介者」としての実務担当者の役割

◆日時:2017年5月13日(土)10:30—17:00
◆会場:成城大学 3号館3階大会議室
成城大学へのアクセス
(小田急線「成城学園前」下車徒歩5分)
◆発表者:
佐藤央隆(三島村教育委員会)
清水博之(元・日立市郷土博物館、茨城キリスト教大学)
中島誠一(元・長浜市曳山博物館、西安造形大学)
沼田 愛(仙台市教育委員会)
松井今日子(元・北広島町芸北民俗芸能保存伝承館、岐阜市歴史博物館)
村上忠喜(京都市歴史資料館)
コメンテーター:
小林 稔(文化庁・主任文化財調査官)
福岡正太(国立民族学博物館)
◆URL:
◆問い合わせ先:
成城大学 グローカル研究センター
〒157-8511 東京都世田谷区成城6-1-20
TEL:03-3482-1497 FAX:03-3482-9740
E-mail: glocalstudies[at]seijo.ac.jp
[at]を@に変更してください。
*使用言語:日本語
 成城大学グローカル研究センター(CGS)では、当センターが提唱し推進している「グローカル研究」(グローバル化とローカル化が同時かつ相互に影響を及ぼしながら進行するグローカル化現象に関する研究)の一環として、このたび、「ユネスコの無形文化遺産保護をめぐる『当事者』と『文化仲介者』としての実務担当者の役割」と題するシンポジウムを開催することになりました。ユネスコの無形文化遺産保護条約が成立・発効して10年以上が経過した今日、グローバルに拡大・浸透したユネスコ無形文化遺産保護の理念や文化政策が、それを受け入れたローカルな場(各国政府や地方自治体、無形文化遺産を保持、継承するコミュニティなど)にさまざまな影響を及ぼしています。その実情や実態を、これまで十分には議論されてこなかった「当事者」と「文化仲介者」としての実務担当者の役割に焦点を当てて明らかにし、今後のより良いユネスコ無形文化遺産保護のあり方を考えてみようというのが本シンポジウム開催の趣旨です。

本シンポジウムは「私立大学研究ブランディング事業」の一環として開催されます。

2017年1月11日水曜日

第七回研究会のお知らせ

第七回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:2017年2月25日(土)14時~
会場:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館) 高田牧舎2階(新宿区戸塚町1-101)



 

報告1:報告1:伊藤 純(早稲田大学人間総合研究センター)
「民俗芸能・明治大正昭和再考―揺籃期民俗芸能研究の同時代評―」

 本田安次『民俗芸能採訪録』(1971年)や永田衡吉『民俗芸能・明治大正昭和』(1982年)のように民俗芸能研究の軌跡や学史の振り返りは、しばしば民俗芸能研究者自身による当事者としての語りあるいは調査経験・知見の披瀝として描かれることがある。また、民俗藝術の会を活動の場とした先人たちの研究ついても検討され、いわば民俗芸能研究の正史としての学知が形成されつつある。一方で、1980年代末から1990年代にかけては、橋本裕之を旗頭に、民俗芸能研究に内在するイデオロギーが問題化され、民俗芸能研究の一定程度の相対化も図られた。
 ところで、民俗芸能研究の黎明期・揺籃期(そして現在もだが)には、研究者のテキストのみならず、多様なメディアで芸能に関するテキストが生成されている。近代的認識のなかで民俗芸能研究は起こり、その後景にある鉄道整備、新聞社の登場、劇場建設運動、帝国主義日本、郷土研究・民俗学の成立といった様々な局面と対合しながら芸能がとりあげられている。研究者のテキストだけでなく、芸能や芸能研究に関する同時代評をテキストの中心に据えることで、これまでとは異なる学史を描けるのではないだろうか。本報告では学史検討の方法それじたいをも主題としつつ、新たな民俗芸能研究の学史について試論する場としたい。

報告2:鈴木昂太(総合研究大学院大学)
「広島県の神楽が経験した近現代―政治・民俗学・文化財―」

 我々が見ることができる現在の民俗芸能を理解する上では、近現代が与えた影響を無視することはできない。
たとえば、明治初めに出されたとされる「神職演舞禁止令」と「神懸り禁止令」を受けて、神楽の担い手が神職から一般村人へと移り、囃子のリズムが速く娯楽性が重視された石見神楽や芸北神楽が創出されたとされている。この場合、明治新政府が意図した国家神道の確立という政治上の命題が影響を与え、神楽の担い手や祭式に変化が引き起こされた。
また、大正時代になると、地域で伝承されていた民俗芸能が、都会から訪れる学者によって発見され、評価が与えられていく。そうした過程のなかで、研究者の理解が地元に影響を及ぼし、神楽の意義や呼称が新たに創られることもあった。
 さらに戦後になると、研究者が与えた評価に基づいて文化財指定が行われ、保存会という新たな伝承組織や伝承活動に対する補助金の創設が行われたり、祭礼の現地公開など新たな披露の場が生み出された。
このように近現代における政治・民俗学・文化財は、地域において伝承されてきた民俗芸能に、外から影響を与えてきた。その一方で、民俗芸能の伝承者は、政治・民俗学・文化財の影響を逆に利用し、時代の変化に対応を図ってきている。近現代における民俗芸能の変化を捉える上では、地域の外部から与えられた影響だけでなく、地域や伝承者がそれをどう受け止め、昇華していったかという対応の歴史に注目しなければならない。その際には、そうした選択に至らしめた地域社会及び伝承者内部の論理を踏まえて考察する必要がある。
 以上の問題意識を持ち、近現代という時代が広島県の神楽に与えた影響、それに対応するために生じた変化を明らかにしていきたい。本発表では、発表者が継続的に調査している広島県備北地方の神楽を中心に、広島県知事から出された法令、広島県神職会発行の雑誌、神楽師が書き残した手記などの文献資料に基づいて論じていく。