2017年9月4日月曜日

第八回研究会のお知らせ

第八回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)





日時: 2017年10月15日(日)14:00~
於 :早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
  (新宿区戸塚町1-101 高田牧舎2階)
発表者:曽村みずき(東京藝術大学大学院)、矢嶋正幸

報告1:曽村 みずき (東京藝術大学大学院)
「薩摩琵琶の音楽構造―鶴田流を中心に―」
薩摩琵琶は、明治時代以降の東京進出により普及していった近代琵琶楽の一つである。薩摩琵琶には大きく分けて四流派(正派・錦心流・錦琵琶・鶴田流)があり、分派を経て成立した。本発表は、薩摩琵琶の複数流派の楽曲分析を通して、薩摩琵琶の音楽構造を体系化することを目的とする。
楽曲分析では、最も新しい鶴田流を中心に、錦心流、錦琵琶の三流派を対象とする。鶴田流は錦琵琶から分派して成立したが、その一方で音楽的には錦心流に立ち返ると指摘されてきた。この三流派を分析対象とすることで、流派の変遷や流派同士の関係性をより具体的に提示し、鶴田流での改革を明らかにする。
音楽構造の分析では、これまで中世・近世の語り物音楽の構造分析に用いられてきた「積層分析」および旋律句におけるフシの特徴を示す三分類「吟誦・朗誦・詠唱」に着目する。「縦」の音楽実態を示してきた積層分析へ、「横」の特徴にあたる旋律句の定型分類を併行することで、薩摩琵琶の音楽構造を概括的かつ詳細に捉えることを試みる。

報告2:矢嶋正幸
「国家に要請された民俗芸能―大正天皇悠紀斉田について―」
愛知県岡崎市の無形民俗文化財となっている「大嘗祭悠紀斉田」は、大正天皇の大嘗祭に当たって悠紀斉田に選ばれた岡崎市六ツ美の田植え歌・田植え踊・装束及び用具・記録が一括して指定されたものである。現在も6月になると悠紀斉田跡地では「六ツ美悠紀斎田お田植えまつり」が開催され、統一した衣装に身を包んだ早乙女たちの歌と踊りとともに田植えがおこなわれている。この田植え歌と田植え踊は、もともとこの地に伝承されたものではなかった。大嘗祭に合わせて新しく作られたものである。平安時代の大嘗祭では悠紀・主基それぞれの風俗舞が舞われていた記録があるが、田植え踊をしていたという記録はない。つまり近代に入って新しく作られた風俗なのである。なぜこのような新しい芸能の創作が要請され、現在まで伝承され続け、文化財にまで指定されるようになったのか。近代という時代性にスポットを当てながら明らかにしていきたい。

2017年5月5日金曜日

シンポジウム:ユネスコの無形文化遺産保護をめぐる「当事者」と「文化仲介者」としての実務担当者の役割

シンポジウムの案内をいただきましたので転載いたします(芸能文化研究会の催しではありません)。

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成城大学グローカル研究センター(CGS)主催シンポジウム
ユネスコの無形文化遺産保護をめぐる「当事者」と「文化仲介者」としての実務担当者の役割

◆日時:2017年5月13日(土)10:30—17:00
◆会場:成城大学 3号館3階大会議室
成城大学へのアクセス
(小田急線「成城学園前」下車徒歩5分)
◆発表者:
佐藤央隆(三島村教育委員会)
清水博之(元・日立市郷土博物館、茨城キリスト教大学)
中島誠一(元・長浜市曳山博物館、西安造形大学)
沼田 愛(仙台市教育委員会)
松井今日子(元・北広島町芸北民俗芸能保存伝承館、岐阜市歴史博物館)
村上忠喜(京都市歴史資料館)
コメンテーター:
小林 稔(文化庁・主任文化財調査官)
福岡正太(国立民族学博物館)
◆URL:
◆問い合わせ先:
成城大学 グローカル研究センター
〒157-8511 東京都世田谷区成城6-1-20
TEL:03-3482-1497 FAX:03-3482-9740
E-mail: glocalstudies[at]seijo.ac.jp
[at]を@に変更してください。
*使用言語:日本語
 成城大学グローカル研究センター(CGS)では、当センターが提唱し推進している「グローカル研究」(グローバル化とローカル化が同時かつ相互に影響を及ぼしながら進行するグローカル化現象に関する研究)の一環として、このたび、「ユネスコの無形文化遺産保護をめぐる『当事者』と『文化仲介者』としての実務担当者の役割」と題するシンポジウムを開催することになりました。ユネスコの無形文化遺産保護条約が成立・発効して10年以上が経過した今日、グローバルに拡大・浸透したユネスコ無形文化遺産保護の理念や文化政策が、それを受け入れたローカルな場(各国政府や地方自治体、無形文化遺産を保持、継承するコミュニティなど)にさまざまな影響を及ぼしています。その実情や実態を、これまで十分には議論されてこなかった「当事者」と「文化仲介者」としての実務担当者の役割に焦点を当てて明らかにし、今後のより良いユネスコ無形文化遺産保護のあり方を考えてみようというのが本シンポジウム開催の趣旨です。

本シンポジウムは「私立大学研究ブランディング事業」の一環として開催されます。

2017年1月11日水曜日

第七回研究会のお知らせ

第七回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:2017年2月25日(土)14時~
会場:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館) 高田牧舎2階(新宿区戸塚町1-101)



 

報告1:報告1:伊藤 純(早稲田大学人間総合研究センター)
「民俗芸能・明治大正昭和再考―揺籃期民俗芸能研究の同時代評―」

 本田安次『民俗芸能採訪録』(1971年)や永田衡吉『民俗芸能・明治大正昭和』(1982年)のように民俗芸能研究の軌跡や学史の振り返りは、しばしば民俗芸能研究者自身による当事者としての語りあるいは調査経験・知見の披瀝として描かれることがある。また、民俗藝術の会を活動の場とした先人たちの研究ついても検討され、いわば民俗芸能研究の正史としての学知が形成されつつある。一方で、1980年代末から1990年代にかけては、橋本裕之を旗頭に、民俗芸能研究に内在するイデオロギーが問題化され、民俗芸能研究の一定程度の相対化も図られた。
 ところで、民俗芸能研究の黎明期・揺籃期(そして現在もだが)には、研究者のテキストのみならず、多様なメディアで芸能に関するテキストが生成されている。近代的認識のなかで民俗芸能研究は起こり、その後景にある鉄道整備、新聞社の登場、劇場建設運動、帝国主義日本、郷土研究・民俗学の成立といった様々な局面と対合しながら芸能がとりあげられている。研究者のテキストだけでなく、芸能や芸能研究に関する同時代評をテキストの中心に据えることで、これまでとは異なる学史を描けるのではないだろうか。本報告では学史検討の方法それじたいをも主題としつつ、新たな民俗芸能研究の学史について試論する場としたい。

報告2:鈴木昂太(総合研究大学院大学)
「広島県の神楽が経験した近現代―政治・民俗学・文化財―」

 我々が見ることができる現在の民俗芸能を理解する上では、近現代が与えた影響を無視することはできない。
たとえば、明治初めに出されたとされる「神職演舞禁止令」と「神懸り禁止令」を受けて、神楽の担い手が神職から一般村人へと移り、囃子のリズムが速く娯楽性が重視された石見神楽や芸北神楽が創出されたとされている。この場合、明治新政府が意図した国家神道の確立という政治上の命題が影響を与え、神楽の担い手や祭式に変化が引き起こされた。
また、大正時代になると、地域で伝承されていた民俗芸能が、都会から訪れる学者によって発見され、評価が与えられていく。そうした過程のなかで、研究者の理解が地元に影響を及ぼし、神楽の意義や呼称が新たに創られることもあった。
 さらに戦後になると、研究者が与えた評価に基づいて文化財指定が行われ、保存会という新たな伝承組織や伝承活動に対する補助金の創設が行われたり、祭礼の現地公開など新たな披露の場が生み出された。
このように近現代における政治・民俗学・文化財は、地域において伝承されてきた民俗芸能に、外から影響を与えてきた。その一方で、民俗芸能の伝承者は、政治・民俗学・文化財の影響を逆に利用し、時代の変化に対応を図ってきている。近現代における民俗芸能の変化を捉える上では、地域の外部から与えられた影響だけでなく、地域や伝承者がそれをどう受け止め、昇華していったかという対応の歴史に注目しなければならない。その際には、そうした選択に至らしめた地域社会及び伝承者内部の論理を踏まえて考察する必要がある。
 以上の問題意識を持ち、近現代という時代が広島県の神楽に与えた影響、それに対応するために生じた変化を明らかにしていきたい。本発表では、発表者が継続的に調査している広島県備北地方の神楽を中心に、広島県知事から出された法令、広島県神職会発行の雑誌、神楽師が書き残した手記などの文献資料に基づいて論じていく。

2016年10月6日木曜日

第六回研究会のお知らせ

第六回研究会のお知らせです。

来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:2016年10月29日(土)14時~
会場:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館) 高田牧舎2階 (新宿区戸塚町1-101)




舘野太朗
 「大劇場時代の市川少女歌舞伎」
(コメンテーター:吉田弥生)
《要旨》
 市川少女歌舞伎は、太平洋戦争後に愛知県豊川市で結成された、少女だけで歌舞伎を演じる劇団である。同劇団は、1953年2月の三越劇場出演をきっかけに、東京の明治座、東横ホール、名古屋の御園座、京都の南座、大阪の四ツ橋文楽座、中座など、東西の大劇場に次々と進出を果たした。1962年に商業公演から撤退するまでのおよそ10年にわたって、少女(しかも地方出身の!)の演じる歌舞伎が、あらゆるジャンルの商業演劇に伍して大劇場で上演されていたのだ。一般的に歌舞伎は「男性の/大人の/家柄の俳優」によって演じられるものと考えられているが、市川少女歌舞伎はそれとは正反対の属性を持つ「女性の/子どもの/家柄でない俳優」によって演じられていたという点で特筆に値する。
 近年の演劇研究においては、「女役者」や「少女歌劇」などの女性の演じる演劇に注目が集まりつつあるが、市川少女歌舞伎に関しては研究対象として未開拓の部分が多い。少女歌劇と歌舞伎の関係に着目した画期的な論集である吉田弥生編著『歌舞伎と宝塚歌劇――相反する、密なる百年』(2014年、開成出版)では、同じく少女の演じる歌舞伎であった宝塚義太夫歌舞伎研究会が取り上げられていたが、残念ながら市川少女歌舞伎への言及は無かった。また、神山彰編『忘れられた演劇』(2014年、森話社)所収の藤井康生「演劇は忘れられる運命にある──戦後の演劇と劇場の変遷」では市川少女歌舞伎に関する記述があるが、同時代の観客の思い出に止まっている。学術的な論考としては、ローレン・エデルソン『ダンジュウロウズ・ガール』(Edelson, Loren. Danjuro’s Girls: Women on the Kabuki Stage. New York: Palgrave Macmillan, 2009)が現時点では唯一となっている。
 本報告では、まず、劇団員自身によって書かれた、市川升十郎『かぶき人生』(1983年、豊文堂)、市川梅香『まつば牡丹の記』(1993年、毎日新聞連載)、劇団員へのインタビューを中心に構成された黒川光弘『まぼろしの少女歌舞伎』(1984年、中日新聞連載)の記述を参照して劇団の概要を確認する。さらに、報告者の作成した市川少女歌舞伎上演年表を用いて、大劇場で上演された演目の傾向と変遷について考察を述べる。本報告を歌舞伎における、男性と女性、大人と子ども、都市と地方の関係を考えるきっかけとしたい。日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ(http://oraltheatrehistory.org/)で、報告者が取材者として関わった、劇団員の市川梅香、市川福升の聞き書きを公開している。事前に参照されたい。

高久舞(國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター客員研究員)
 「池田彌三郎を考える ―池田彌三郎の研究史―」
 (コメンテーター:伊藤好英)
《要旨》
 本発表では、民俗芸能研究者としての池田彌三郎の業績を確認した上で、池田の「芸能伝承論」を再考することを目的とする。
 大正3年(1914)、銀座の老舗天ぷら屋「天金」の次男として生まれた池田は、昭和6年(1931)、慶應義塾大学経済学部予科に入学するが、3年後に文学部国文科に転科して折口信夫を師事する。昭和12年(1937)に文学部国文科を卒業し、戦後、慶応大学文学部講師、助教を経て教授に就任した。
 池田が折口民俗学を継承し論を展開していたことは自明のことであるが、言い換えれば、折口民俗学の解説者でもあった。その上で、独自の芸能伝承論を展開させようという意図もうかがえる。池田は『芸能と民俗学』(岩崎美術社、昭和47年)の中で、「わたしの芸能伝承論は、単なる行動、動作と芸術とのあいだに芸能をおき、どういう条件が、あるいはどういう制約が、芸能をその位置にとどまらしめているのかをみようとするところから出発した」と述べている。芸能とはなにか、芸術とはなにか、民俗芸能とはなにかを、池田彌三郎の研究史を踏まえて今一度考えてみたい。
《参考文献》
 『池田彌三郎著作集』(全10巻、角川書店、1979〜1980年)ほか

2016年5月21日土曜日

第五回研究会のお知らせ

第五回研究会のお知らせです。
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:2016年6月19日(日) 14:00~
於 :早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
  高田牧舎2階 (新宿区戸塚町1-101)

報告1:菊田 祥子(成城大学大学院)
祭の見せ場は女が創る
 ―千葉県八日市場祇園祭女神輿を事例として―
 千葉県匝瑳市八日市場を中心に行われている八重垣神社祇園祭の女神輿は、管見の限り女だけで担ぐ神輿練りとして現存する最初期の1つである。
 本発表では、女神輿がはじまった昭和48年以降現在までの八重垣神社祇園祭の変遷を、女神輿に対する地域内からの視線の推移を含めて、開始時の担ぎ手からの聞き取りを中心に明らかにする。その上で、近隣地域の都市祭礼における女性の役割・意識と対照しながら、伝統的地域社会における男女間の非対照的な関係構造をなぞるにとどまらない、祭礼をめぐる地域内関係構造の可能性を提示したいと考えている。


報告2:中里 亮平
「日常化」からみる民俗芸能
―秋田県仙北市角館のお祭りにおける飾山囃子の事例から―
 本発表は、秋田県仙北市角館地区で行われる角館のお祭りにおいて行われる飾山囃子を事例に、民俗芸能を
「日常化」という概念で考察することの意義について考察するものである。
 飾山囃子は角館のお祭りにおいて山車の上で行われる民俗芸能であり、祭礼と密接に結びついている一方で、様々な機会に公演活動が行われ、学校のクラブ活動として取り入れられるなど、多様な展開をみせている。
 このような飾山囃子を「日常化」という祭礼研究の分野と関連した概念を用いて考察することで民俗芸能研究に新しい視点を取り入れることを目指す。


2015年12月13日日曜日

第四回研究会のお知らせ

第四回研究会のお知らせです。

日時:2016年1月23日(土)
会場:早稲田大学早稲田キャンパス施設名:3号館706号室(演習室)
報告者:川﨑瑞穂さん(国立音楽大学大学院博士後期課程)、矢嶋正幸さん
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
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【要旨】
川﨑瑞穂「民族音楽学的芸能史研究試論」
 石塚尊俊はその著書『里神楽の成立に関する研究』(2005)の中で、史料の乏しい里神楽の史的研究においては、史料だけではなく、舞所・飾餝・面・衣裳・執物・曲目・所作・奏楽・詞章といった諸要素を個別に比較分析する必要があると述べている。この「曲目・所作・奏楽」という視座から、従来の「出雲流神楽」の史的研究に異を唱えたのが森林憲史である。森林は、関東地方の出雲流神楽における「三つ拍子(テケテットン)」という囃子を研究し、この囃子が、反閇や剣印などといった、山伏神楽の所作と密接に関係していることを明らかにした。楽曲から芸能を見ることの重要性を指摘し、その実例を示した森林の功績は正当に評価されねばならない。
 ところが、音楽を専門としていない研究者にとっての音楽分析のむずかしさもあいまって、この分野の研究は進んでいるとは言えない。そしてこの進捗の遅れは、発表者のフィールドである秩父地方の神楽の研究領域においても同様に見出される。
 本発表では、倉林正次、栃原嗣雄、小野寺節子、三田村佳子、森林憲史らによる秩父地方の神楽の研究史を辿り、「民族音楽学的芸能史研究」の必要性を述べる。クロード・レヴィ=ストロースが『神話論理』の第1巻『生のものと火を通したもの』(1964)の「序曲」において、音楽という謎が人文科学の最後の謎であると同時に、進歩の鍵を握っていると述べているが、本発表では、発表者のこれまでの研究を紹介し、音楽が民俗芸能の史的研究における多くの謎を解く鍵を提供してくれることを示したい。


矢嶋正幸「都市祭礼としての三匹獅子」
 三匹獅子は東日本を代表する民俗芸能であり、その伝承地は1400か所を超える。しかしながら箱根を境にして西日本には数えるほどしか存在していない。その数少ない例外が福井県小浜市の雲浜獅子である。この獅子は寛永11年(1634に武蔵国川越藩主であった酒井忠勝が若狭国小浜藩に転封となったさいに渋る演技者を優位な条件で川越から連れてきたことから始まる。彼らは足軽として酒井家に仕え、関東組という他の足軽とは一線を画す存在となった。そして毎年6月に城下町を挙げておこなわれていた小浜祇園会で獅子舞を演じてきた。
 獅子が移入された近世初期は幕藩体制の確立にともない、城下町の建設ラッシュが起こっていた時期に当たる。酒井忠勝もまた転封後に小浜城下町の整備をおこなっている。雲浜獅子もこうした都市空間が形成される中で関東から移入されたのである。
 三匹獅子が分布するのは圧倒的に農山村に多いため、風祭・雨乞いなどの農耕儀礼との関係で論じられることが多かった。しかし三匹獅子は農山村だけではなく、川越・水戸・掛川などの城下町や、佐原・本庄などの在郷町や宿場町といった都市空間にも少なからず存在している。小浜と川越を中心に、都市祭礼として三匹獅子をとらえなおすことで、この芸能の違った側面を見ていきたい。

2015年8月20日木曜日

第三回研究会のお知らせ

第三回研究会のお知らせです。
今回は成城大学が会場です。
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:9月12日(土) 14時~
場所:成城大学3号館7階ラウンジ
   (東京都世田谷区成城6-1-20)
発表者:伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員)・田村明子(成城大学大学院)











































【要旨】
伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員)
「民俗芸能の文化資源化と自律的伝承―三宅島の牛頭天王祭の太鼓を事例にして―」
 伊豆諸島の一つ三宅島。島には「神着木遣太鼓」という芸能が伝えられている。和太鼓に興味がある人ならば、三宅島と太鼓というワードで、佐渡を拠点とし世界に活動を広げる太鼓集団・鼓童の「三宅」という演目を想起する人も多いだろう。単純化すれば、三宅島の民俗的身体文化の一つであった牛頭天王祭の「太鼓」を素材として、鼓童が舞台芸術化して創出されたものが「三宅」という演目といえる。そして、現在では鼓童のみならず国内外で広く叩かれる和太鼓の代表的な演目の一つになっている。
 祭の構成要素の一つにすぎなかった「太鼓」とその技術は、島内では文化財指定を機に命名された「神着木遣太鼓」として定着し、島外では「三宅」として人々の手に広がっている。こうした文化資源化の過程で、さまざまな位相の芸能のネットワークが構築され、現在の祭に少なからず影響を与えている。本発表では、昭和45年の保存会発足以来、「神着木遣太鼓」の名手として知られるメンバーの語りをもとに、およそ50年のテンノウサマの変化をみる。我彼の関わりのなかで生じた舞台化への抵抗感、技術の巧拙、地域社会への新たな芸能のネットワークの受け入れ、祭での振る舞い、人口流出など当事者が当たり前に抱える課題への葛藤と克服のなかから、祭と民俗芸能がどのように自律性を担保しているかに注目して考察する。

田村明子(成城大学大学院)
「神楽の伝え方と見せ方―稽古の在り方を通して―」
 民俗芸能は稽古によって継承が行われる。この稽古の場や方法は、各々の民俗芸能や地域によって異なり、伝承上では相関関係が認められる民俗芸能であっても、双方の稽古の在り様まで同じであるとは限らない。このような稽古の相違は、民俗芸能の奉納や上演に多かれ少なかれ影響を与えると考えられる。あるいは逆に、奉納や上演の在り様がそれぞれの稽古を形作っているとも考えられる。
 本発表では、現在も関東で伝承される採物神楽のいくつかを対象とし、その稽古の在り方に着目する。埼玉県には、いくつかの著名な採物神楽が伝承されている。それぞれが神社に所属し、基本的には神社の例祭で奉納される。鷲宮神社で伝承される土師一流催馬楽神楽は、神楽殿と参集所の二か所で稽古が行われる。それぞれの場所で行われる稽古の参加者は異なっており、稽古の方法にも差異がある。参加者の差異は催馬楽神楽の歴史、また教育機関や自治体などの外部組織との関係に由来しており、そしてこの差異が、それぞれの稽古の方法にも違いを生じさせている。一方、東京都内に拠点を置く採物神楽は、埼玉県内の神楽とは様相を異にしている。新宿を拠点として、都内の複数の神社で神楽奉納を行っている萩原彦太郎社中は、区営の市民センターや神楽師の自宅で稽古を行う。これは、萩原彦太郎社中が特定の神社に所属する神楽師集団ではないためである。
 催馬楽神楽や埼玉県内のいくつかの神楽は、それぞれ独立して稽古を行っているが、萩原彦太郎社中は神楽師集団である若山社中から招いた神楽師を師匠とし、全員が一人の師から教わるという形式での稽古を行っている。このような形式は、萩原彦太郎社中と若山社中が、集団としては兄弟的な関係にあたること、また奉納にあたっては互いに連携を取り合っているという事情とも関わっている。必然的に、萩原彦太郎社中と若山社中の神楽には共通点が生まれる。他方、催馬楽神楽を始めとする埼玉県内の神楽保存会は、交流は皆無に等しい。それぞれの神楽保存会が独立していると言うことができる。
 本発表では、各神楽の稽古を通して、神楽あるいは担い手である神楽師が何を伝え、何を見せようとしているのかについて検討を行う。これによって、現代社会における神楽の継承の在り方が見えてくるものと考えられる。