2023年5月13日土曜日

第22回研究会のお知らせ



第22回研究会を下記の通り開催します。

多くのみなさんのご参加をお待ちしております。


日時:2023年5月27日(土)14:00~ (ハイフレックス開催)

会場:國學院大學渋谷キャンパス(若木タワー5階 0509演習室)

   ※ 以前までとは違う会場です。

   およびオンライン会場(ZOOM)

※参加される方はお申し込みフォームhttps://forms.office.com/r/0JNhLAjF67よりお申し込みください(2023年5月25日締め切り)。

※オンラインではZOOMを使用します。申し込みいただいたすべての方に、当日、ミーティング情報をメールでお知らせいたします。

※タイトルは変更される可能性があります。


発表1 安西生世 (國學院大學大学院文学研究科)

植田晃司と石見神楽「大蛇」―石見神楽の〈オロチ〉誕生が地域に与えた影響―

本発表では、石見神楽の伝統的産業のうち、「石見神楽蛇胴」の製作者と成立過程を明らかにし、地域内外に与えた影響について検討する。

島根県西部・石見地域の民俗芸能、石見神楽の演目「大蛇」で用いられる「石見神楽蛇胴」は、明治末期に浜田市の石見神楽長浜社中・植田晃司が提灯をヒントに考案し、製作技術と〈オロチ〉の舞法を確立した。

この〈オロチ〉誕生以前は、蛇頭を頭にかぶり、鱗紋を描いた白衣袴の装束を用いた一人立ちの舞だった。「石見神楽蛇胴」は最長約17mにもなり、自在に伸縮するため、神話「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」を表現する上で非常に効果的で、地域の人びとや他の神楽社中にも〈オロチ〉は受容された。

明治期から昭和の戦後にかけて全盛を極めた石見神楽長浜社中の活動と、植田晃司の蛇胴製作および舞法の教授によって、「石見神楽蛇胴」による〈オロチ〉は石見地域全体の演目「大蛇」の芸態に大きな影響を与えた。昭和30年代以降は、孫・植田倫吉が「植田晃司」の名と技術を継承し〈オロチ〉の発展と伝播を支えて現在に至る。

昭和45年の万国博覧会(大阪府)では、はじめて3つの神楽社中が合同で13頭の〈オロチ〉を出して「石見神楽・大蛇退治」のパフォーマンスを披露した。これまで、万国博覧会が石見神楽「大蛇」の最大の転換期といわれてきたが、明治末期の成立以降、石見地域で人々のおどろきと文化の受容を積み重ねた結果、石見神楽の代名詞という評価を勝ち得たのである。

しかし「石見神楽蛇胴」は、明治期以降に生まれた〈新しい文化〉として重要視されてこなかった。本発表では、当代の植田晃司や地域の人びとの聞き取り調査や資料調査の結果を提示し、石見神楽の文化と他地域の民俗芸能を支える伝統的産業の研究の必要性を検討する。


発表2 大泉雄都(帝京大学大学院文学研究科)

天然理心流剣術の「型」における内と外

天然理心流は、江戸時代寛政年間(1790年頃)に近藤内蔵之介が創始した剣術流派である。近藤内蔵之介については、遠江(静岡)の出身ということ以外詳しいことは伝わっていないが、諸国を漫遊して「鹿島神道流(鹿島心当流)」を学んだ後に天然理心流を創始したといわれている。蔵之介は、江戸両国の薬研彫りに自身の道場を構えながら、武州多摩地方や相州へも稽古に出向いて門徒の指導に当たったとされ、日野、八王子にも天然理心流が伝えられた。「八王子千人同心」を始め、周辺の村々からも多くの人が学んだとされる剣術である。その後、新撰組の隊士、近藤勇、沖田総司らが道場を継ぎ、現在も10代目宗家・平井正人氏によって、複数の道場で稽古が行われている。

各道場によって、微量の差があるものの、天然理心流の稽古は、「型」の習得を目的とした型稽古を行っている。天然理心流の「型」は入門編の「切り紙」から始まり「目録」→「中極意目録」→「免許」→「印可」→「指南免許」と、六段階に区分されており各文献に記載された内容を習得する事で、極みに至るといわれている。しかし、文献に残る「型」がすべて再現できているわけではなく、再現された型の習得の他に、宗家と一部の門下生による「型」の再現も道場の活動の中核となっている。「型」の再現にあたっては、文献に残る「型」の内容が一連の動きで再現されているか、一連の動きは合理的かつ再現性の高いものなのかを宗家を含めた門下生で検討する。また、一度再現された型であっても、改変が起こることも多い。

本発表では、天然理心流剣術の型の改変が道場の外にも影響を与える可能性があるのか、実際に道場で扱っている「型」の内容とその改変に着目しながら検討していきたい。

2023年1月17日火曜日

第21回研究会のお知らせ



第21回研究会を下記の通り、オンライン形式で開催します。多くのご参加をお待ちしております。

日時:2023年2月5日(日)14:00~(オンライン形式)

※ 参加される方はお申込みフォームよりお申し込みください(2023年2月3日締め切り)。

※ Zoomを使用します。当日、ミーティング情報をお申込み時にいただいたメールアドレスにお送りします。

※ タイトルは変更される可能性があります。


発表1

Colleen C. Schmuckal シュムコー、コリーン・クリスティナ (東京藝術大学 特別研究員)

ハイアート(高級芸術)としての日本の祭囃子?ーなぜ花輪ばやしの三味線は独立した音楽としても満足できるのかー

Japanese Festival Music as "High Arts"?: How the shamisen part within Hanawa-bayashi can be satisfying as an independent piece of music

花輪ばやし(秋田県鹿角市)は、三大囃子の中で唯一、打楽器と笛の新調に三味線を取り入れ、先行する囃子(祇園囃子と神田囃子)と比較して表現の幅を広げている囃子である。しかし、2016年に花輪ばやしがユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、この音楽の独自性ではなく、太鼓奏者が地上を歩くという祭りの山車の構造によるものである。当時の花輪ばやし会長が説明するように、この祭囃子の音楽が聴覚的に伝えられ、記録された歴史が比較的短いことから、「高級芸術」の価値が低いとみなされたため、ユネスコはこの祭の核心部分、その音楽を見落としてしまった(鹿角市、2019年)。

この音楽の実際の分析では、三味線という重要な楽器が、社会的に複雑な歴史を持ち、後から付け加えられた可能性があること、囃子というジャンル全体において共通の表現がないことなどから、一般に見落とされている。しかし、歴史的にも現在でも芸人たちの先駆的な努力によって、三味線の音楽的な理論と実践を深く理解した上で三味線の音楽的な部分が作られていることは明らかで、三味線の役割と影響力は複雑で、より慎重な検討が必要であると思われる。

2018年以降の花輪ばやしの対面フィールドワーク、インタビュー、実見、そして2018年、2019年、2022年の実際の祭り「舟場屋台」への三味線奏者としての参加を通じて、花輪ばやし自身が内在する音楽史、文化、演奏実践から、より有効な音楽分析手法を生み出すことが本研究の目標である。三味線が加わることで、打楽器や笛の演奏にどのような影響を与えるのか、また、現在の花輪芸人の多くが口にする「三味線パートの満足感」(鹿角市、2022年)を分析することで、このことを明らかにする。花輪ばやしを具体的に分析することは、現在コミュニティで活発に行われている過小評価されている音楽を正統化するために有益である。

Hanawa-bayashi (Kazuno City, Akita Prefecture, Japan) is the only one of the three big hayashi festival musical genres that incorporates shamisen into the shinto ensemble of percussion and flutes, expanding the range of musical expression in comparison to its predecessors. However, in 2016, Hanawa-bayashi was registered as a UNESCO Intangible Cultural Heritage not for this musical uniqueness but instead for the construction of the festival floats; which features the taiko drum players walking on the ground. As the chairman of the Hanawa-bayashi festival, Masahide Tozawa, explained, it is because this festival music is transmitted aurally, and viewed as having little “high cultural art” value due to a relatively short recorded history, UNESCO overlooked the true heart of this festival; its music (Kazuno City, 2019).

The actual analysis of this music has generally overlooked one of the key instruments,  the shamisen, due to its socially complicated history, possible later addition, and lack of common representation within the hayashi genre as a whole. However, it is clear that through the pioneering efforts of the geinin shamisen performers, both historically and still today, the shamisen’s musical part was created through deep understanding of shamisen’s musical theory and practices, making the role and influence of the shamisen both complex and in need of more careful examination.

Through in-person fieldwork, interviews, and first-hand observations of Hanawa-bayashi since 2018, and participation in the actual festival, Funaba Float, in 2018, 2019, and 2022, the goal of this research is to create a more effective music analytical method from Hanawa-bayashi’s own inherent musical history, culture and performance practices. This will be done through analyzing how the addition of shamisen influences the musical practices of the percussion and flutes, as well as how the shamisen part feels “satisfying”: a statement made by many present day Hanawa geinin performers (Kazuno City, 2022). A concrete analysis of Hanawa-bayashi music is beneficial for legitimizing under-appreciated musics actively performed by communities today.

発表2

藤森寛志(和歌山県教育委員会文化遺産課)

御坊祭の奉納芸能 ー  『御坊祭総合調査報告書』の刊行よりー

御坊祭は、紀伊半島海岸部のほぼ中央に位置する和歌山県御坊市薗に鎮座する小竹八幡神社(しのはちまんじんじゃ)にて毎年10月4日と5日の両日に行われる日高地域最大の祭礼である。

祭りは、氏子組九組から構成され、なかでも江戸時代から祭りを構成している一部の組からは奴踊(やっこおどり)や雀踊(すずめおどり)、戯瓢踊(けほんおどり)などの諸芸能が奉納される。また、全ての組から獅子舞と余興としての四つ太鼓が出される。御坊祭の特徴のい一つは、祭りを彩るこれらの奉納芸能の豊富さが挙げられる。

本報告では、平成31年から令和3年度にかけて文化庁の国庫補助金の交付を受けて御坊市が実施した「御坊祭民俗文化財調査事業」の成果から見えてきた御坊祭の奉納芸能の特徴について紹介する。

2022年9月7日水曜日

第20回研究会のお知らせ



第20回研究会を下記の通り、オンライン形式で開催します。多くのご参加をお待ちしております。

日時: 2022年9月25日(日)14:00~(オンライン形式)
※ 参加される方はお申込みフォームよりお申し込みください(9月23日締め切り)。
※ Zoomを使用します。対応するブラウザはChrome、Mozilla Firefox、Microsoft Edge、Apple Safariです。当日、ミーティング情報をお申込み時にいただいたメールアドレスにお送りします。
※ タイトルは変更される可能性があります。


発表1 舘野太朗
民舞(民族舞踊/民俗舞踊)と民俗芸能
民舞(民族舞踊/民俗舞踊)は、日本各地の民俗芸能を基に再編した芸能で、わらび座をはじめとする「民俗歌舞団」、小中学校等の教育現場で実践されている。太平洋戦争後の日本で広まった、創作和太鼓、エイサー、よさこい系などの「新しい芸能」の源流のひとつでもある。日本民俗学、芸能史研究の分野では、民俗芸能という術語が一般的に用いられている。民舞はそれと目的や理念を異としながらも、微妙に重なる部分もある。本発表では民舞の受容と拡大を概観するとともに、民俗芸能との異同、相互の影響関係について若干の考察を行いたい。

発表2 德山海向子
新しい地域芸能 現代版組踊の再検討
―沖縄県うるま市による「肝高の阿麻和利」のフィールドから―
従来、地域で行われる芸能は、“神への奉納”、“祖先供養”を目的とした伝統芸能、民俗芸能という見方が主流であったが、近年は、それらに類されない芸能活動が展開している。同好会的団体による芸能、地域活性化のための芸能、教育現場での芸能、地域間交流の芸能、観光対象の芸能など多様な目的で実践されている。
2019年から2021年にかけて行われた「今を生きる人々と育む地域芸能の未来―「保存」から「持続可能性」への転換を志向する場の形成と人材育成」プロジェクトでは、地域の中で育まれてきた芸能を、民俗や伝統といった既存のカテゴリーで囲い込む見方を解きほぐし、これらを育む「地域」から芸能の持続可能な在り方を捉え直すための思考の枠組みとして「地域芸能」という言葉を設定している。地域で行われる芸能の基盤となる「地域」とは、人々が生存する地理的な範囲を示すだけでなく、そこに暮らす人々の間、人々と土地、人々とモノ、人々と出来事の間で織り上げられていく関係的な概念と捉えられる。そのような流動的な地域で行われる芸能を「地域芸能」として捉えることは、当事者たちに寄り添いながら実践を検討し、その課題に対する有効な手立てを見出せると考えられる。
現在、全国的に取組まれている「現代版組踊」は、2000年初演の「肝高の阿麻和利」を機に定着した。地域の歴史や伝統芸能を組込んだオリジナルの舞台を、中高生を中心とした地元の子供たちが主体となって運営する舞台芸能である。地域に根差した舞台作りを通して青少年の居場所作りや人材育成、地域おこしを目的としている。
本稿では、「現代版組踊」の先駆けとなった沖縄県旧勝連町(現うるま市)による「肝高の阿麻和利」について取上げ、当該地域における活動の展開と今後の課題について整理しつつ、「現代版組踊」という地域芸能の特性を挙げる。
1999年、旧勝連町教育委員会は、地域の無気力な若者たちが意欲を持てる文化活動の場を提供することと、町の意識改革を目的に、中学生による舞台作りを企画した。小浜島出身の南島詩人・平田大一氏を演出家に招き、創作されたのが「肝高の阿麻和利」である。
舞台の題材は、町のシンボルであった勝連城跡の象徴的な歴史に焦点があてられた。琉球王国時代、勝連地域を繁栄に導いたとされる勝連城按司・阿麻和利は、沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」には英雄と詠われているが、王国編纂の正史では王府に反抗した逆臣と記されており、沖縄の古典芸能・組踊「二童敵討」では敵役として登場する。そこで、組踊で流布された阿麻和利悪人像の歴史観を乗り越えるべく、当初は、「二童敵討」に対抗する新作組踊の創作が発案されたが、演者である素人の子供たちが古典芸能を実践することは困難であったため、“現代チックな組踊”という解釈で、組踊の様式を現代風にアレンジした舞台が誕生したのである。楽曲には大太鼓や三線を用いたり、ダンスの要所に空手や琉舞の所作を振りつけたり、勝連地域の伝統芸能を取入れたりすることで、地域の伝統芸能を活かした演出が施されている。
一回きりの上演予定であったものの、初公演後に演じた中学生から再演の希望がされ、舞台活動は継続された。保護者を中心に支援団体が組織され、行政の手を離れてからも自立的な運営基盤を築き、市町村合併の壁を乗り越えながら、戦略的に舞台公演を行い、実績を積んでいる。
現代版組踊は、子供たちに故郷の誇りと魅力を自発的に発見させる生きた教材として、また、埋没していた地域の歴史を浮き彫りにし、伝統文化の良さを再認識させることで、地域における新しい価値創出の試みとなっている。「青少年の人材育成」、「地域活性化」の手法として評価を受け、他地域でも同様の取組みを志向した結果、沖縄県内外の17地域でも類似の舞台活動が誕生した。現在、異なる地域で各々の現代版組踊が演じられている一方で、全ての団体は「ダイナミック琉球」という沖縄の伝統芸能のエッセンスを含んだ曲のパフォーマンスを共有している。それにより、共通の歴史実践に従事しているという連帯感が生まれ、現代版組踊を通した各地域間交流への足場を築かれている。現代版組踊は、どの地域でも実践できる普遍性をもちながら、地域間のコネクションを生み出している。
「肝高の阿麻和利」は、今年で22年目に入る。現在うるま市は、当舞台を産業コンテンツ化することでイベント企画や修学旅行の誘致を図り、観光による地域活性化を構想している。こうした動向は、これまで舞台活動を通して育った人材の受け皿が創出され、「感動産業」の実現へと期待が寄せられている一方で、うるま市内部の認知度の低さが課題として浮かび上がってきた。
また、現代版組踊取組み自体の今後の継続性を考える上では、採算のとれる経営基盤の強化は必須であり、舞台活動全体のモチベーション維持は当初から変わらない重要な観点である。地域での舞台の在り方は変化するが、力強い継承のためには、既存の伝統芸能に習って、活動主体が本来の目的を見失わずにすむよう不可変の基軸を見出す必要もある。
【参考文献】
公立大学法人沖縄県立芸術大学『地域芸能と歩む「今を生きる人々と育む地域芸能の未来―「保存」から「持続可能性」の転換を志向する場の形成と人材育成」事業報告書』2022
德山海向子『沖縄の芸能文化における「現代版組踊 肝高の阿麻和利」の位置づけと今後の展望について』2021
本橋哲也『演劇としての歴史/歴史としての演劇:「パブリック・ヒストリー」と「現代版組踊」』2021
沖縄国際大学公開講座委員会『沖縄芸能の可能性』2005
狩俣恵一『沖縄の地域社会と芸能』コミュニティ政策学会2021
現代版組踊推進協議会ホームページ 現代版組踊推進協議会 (gendaibankumiodori.com)
正徳大学文学部文学科『民俗文化の継承におけるコストとモチベーションに関する基礎的研究』2019

2022年3月14日月曜日

第19回研究会のお知らせ



第19回研究会を下記の通り開催いたします。
新型コロナウイルス感染拡大を鑑みオンライン形式で開催します。
多くのご参加をお待ちしております。

日時: 2022年3月26日(土)14:00~ (オンライン形式)

報告1:神田竜浩 
「大住隼人舞の創出—京田辺市大住に伝わった藺牟田神舞-」
 京都府京田辺市大住の月読神社の例祭で奉納される大住隼人舞は、古代に宮廷の警備を担った隼人が伝承してきた舞と地元では伝えられており、現在は京田辺市の無形民俗文化財の指定を受けている。
 しかし、この大住隼人舞は式内社の研究で名を馳せた神道史家志賀剛氏(1897-1990)と鹿児島県祁答院町(現薩摩川内市)藺牟田に伝わる藺牟田神舞の伝承者牧山望氏(1900-1991)が協力し、古代隼人の畿内での居住地とされた大住の地に伝えた舞であるが、実際のところは牧山氏の故郷藺牟田の地で途絶した藺牟田神舞が大住に伝えられたものであった。牧山氏は1937年に途絶した藺牟田神舞の伝承者で、戦後に藺牟田を離れ、関西での就職後も藺牟田の調査を行い『祁答院藺牟田郷誌』を刊行するなど藺牟田の民俗に多大な貢献を行いながら、藺牟田神舞の復活を目指していた。一方で、牧山氏は鹿児島に伝わる神舞(神楽)こそが隼人舞であるという信念で生涯を通じて活動を行い、志賀氏とともに鹿児島県内の隼人舞の「聖地」を発見して神舞の奉納を行うなど、志賀氏のパートナーとして重要な役割を果たした。
 牧山氏が隼人舞に神舞の起源を求めた背景には、西南戦争後に生まれた「薩摩隼人」の精神、古代に朝廷に抵抗した隼人の復権、1963年に平城京跡から発見された隼人の盾、1960年代の古代史ブーム等があったものと考えられる。こうした中で、牧山氏は1976年に藺牟田神舞を復活させるがその試みは1日限りの出来事として終わった。しかし、牧山氏が唱えた神舞=隼人舞は鹿児島県内に影響を与え、周囲の神舞もそのルーツを隼人舞に求め、鹿児島市内の隼人舞誕生の地には隼人舞として神舞を伝承する団体が生まれた。その活動の集大成が大住隼人舞であり、志賀氏が大住の地と隼人の関係の重要性について説き、牧山氏が大住の地に藺牟田神舞を伝授し、大住隼人舞が誕生した。
 今回の発表では、牧山氏の藺牟田神舞復活を含めた鹿児島県内での活動を追いながら、古代の芸能隼人舞が大住の地にどのように創出されることになったのか考えてみたい。

報告2:中野洋平
「東国の祭礼芸能と神事舞太夫」
 習合神道神事舞太夫家とは、近世において江戸浅草田原町に拠点をおいた宗教組織である。神事舞太夫頭を頭役とする彼らは習合家を自称し、幕府公認のもと家職である神事舞太夫職と梓神子職を免許することで、配下(神事舞太夫と梓神子)を得ていた。配下は関八州および甲斐、信濃、会津に散在し、神事舞太夫の人数は、近世後期の寛政年間で600名程度であった。
 習合家は、配下の神事舞太夫を①神主・宮持ち、②社役人、③平配下という三種に分類して把握していた。①は神職身分や宮社を有する者、②は寺社で何らかの役を務めるもの、③はそれ以外である。①の存在は稀で、配下のほとんどは③であり、彼らは自身が所持する旦那場において、祈祷や配札、梓神子による口寄せを生業としていた。
 寺社祭礼と直接関係していたのは②の社役人たちである。習合家の由緒では、社役人が関係する代表的な寺社祭礼が記載されている。すなわち常陸国水戸の東照宮祭礼、同国金砂山大権現の小祭礼と大祭礼、江戸浅草三社権現祭礼、下総国千葉妙見祭礼、相模国国府六所大明神祭礼、同国高麗大権現祭礼で、神事舞太夫たちは神楽や田楽を担任した。
 一方で、由緒には載らないが大小さまざまな寺社の祭礼でも神事舞太夫は芸能を担任していた。例えば相模国鎌倉の鶴岡八幡宮放生会の神幸行列では先払いの獅子舞が神事舞太夫の役務だったように、そのほとんどが獅子舞であった。どうやら習合家は、社役人のなかでも神楽や田楽を務める少数の者たちを対外的にアピールしたかったらしい。
 本発表では、習合家による家職支配の全体を俯瞰したうえで、いくつかの寺社祭礼をとりあげ、神事舞太夫が行う芸能の実際、寺社と神事舞太夫との関係すなわち役務のあり方について考察していきたい。

※ 参加される方はお申込みフォーム(https://onl.la/DSBMLsw)よりお申し込みください(3月25日締め切り)。
※ Zoomを使用します。対応するブラウザはChrome、Mozilla Firefox、Microsoft Edge、Apple Safariです。当日、ミーティング情報をお申込み時にいただいたメールアドレスにお送りします。
※ タイトルは変更される可能性があります。

2021年9月30日木曜日

第18回研究会のお知らせ




第18回研究会を下記の通り開催いたします。

新型コロナウイルス感染拡大を鑑みオンライン形式で開催します。

多くのご参加をお待ちしております。

日時: 2021年10月30日(土)14:00~ (オンライン形式)

報告1: 矢嶋正幸 
「 神代神楽と面神楽―遊芸人鑑札制度が作った神楽の分類―」
 関東地方に分布するいわゆる出雲流の神楽は、太々神楽・里神楽・神代神楽・面神楽といった様々な名前で呼ばれている。現在は、こうした呼称の違いを意識することは殆どない。埼玉県秩父地域では、保存会名に神代神楽を冠していても、「デエデエ=太々」と呼称しているところも多い。東秩父村のものは「神代里神楽」と、合体した名前で呼ばれている。また、面神楽を冠するものには、神奈川県三浦半島、海南神社の面神楽があるが、地元では神代神楽の一種とされている。
 ところが、戦前の埼玉県神職会が編纂した調査報告書『埼玉の神代神楽』では、「本県に伝来せる神代神楽は、其の起源明白ならずと雖も、古来宮中に伝へられたるを単に神楽と称へ、之れに対して地方に伝へたるを里神楽と称す。然れども今日の所謂里神楽なるものは、頗る俗化せるものにして、祭典の賑ひに余興として行はる〵に過きす、故に之を通俗面神楽と称し、神社付属のものは神代神楽、又は太々神楽と称して区別し居れり」と、呼称について明確な区別をつけている。
 ここで通俗面神楽とされているのは、遊芸人鑑札を請けた神楽師が余興として行うものであって、神社付属の神楽師が行うものとは異なるとされている。埼玉県では、明治15年の遊芸人取締規則の発布以降、一部の神楽師は鑑札を請け遊芸人として神楽をするようになっていた。
 なぜ、神楽師が、神社付属のものと遊芸人のものとに分かれることになったのかを明治期の埼玉県の資料を使いながら見ていきたい。また、こうした分類が現在まで伝わる神楽にどのような影響を与えたのかも併せて考えていきたい。

参考文献:
『三浦市民俗シリーズⅦ 海南神社の面神楽 上巻』三浦市教育委員会 1991年
『埼玉県特殊神事 第三輯 埼玉の神代神楽』埼玉県神職会 年不詳

報告2:大石泰夫
「拙論「天下御免の三番叟」とは何だったのか―「現場から立ち上がる議論」の再考―」
 1990年から1991年の2年間にわたって行われた有志研究会「第一民俗芸能学会」(以下、「第一」)のスタートは、民俗芸能についての先行研究者と先行研究に対する評価の議論であった。具体的には、牛尾三千夫(橋本裕之)、早川孝太郎(上野誠)、永田衡吉(笹原亮二)、本田安次(松尾恒一)、文化人類学における儀礼研究(福島真人)、茂木栄「まつり伝承の持続と変化―南信濃遠山の場合」(小林康正)などであった。
 それとともに、「民俗芸能」についての認識論を踏まえた議論(民俗芸能とは一般的には言われないものから立ち上がる民俗芸能研究に通じる議論)が展開された。例を挙げれば、ストリップ、浪花節、琵琶法師の語り、ミュージカルなどであった。
 そして、当時学界でしばしば指摘されていた調査論についての議論を背景にした、伝承現場から立ち上がる議論である。高度成長期が終わり、バブル経済が自治体に多くの税収をもたらして、自治体は競って大規模な自治体史編さん事業を始める。民俗学については、この期に積極的に自治体史に取り込まれた分野となった。そして、そのことによって、多くの大学院生が臨時調査員として民俗部会の調査事業に参画することになる。現在の50~75歳くらいの民俗学の研究職にある(あった)人で、自治体史の編さん事業に無縁であった人は、ほとんどないといってよいだろう。その自治体史の編さん事業のあり方について、指摘されたのが「項目調査」に対する批判であった。また、「昔はこうだった」というオーラル伝承から立ち上げようとする「歴史」に対する批判であった。
 そうした議論を「第一」でも扱っており、伝承の現場から立ち上がる議論についての研究が取り上げられた。その一つとして「天下御免の三番叟」が出されることになる。この論文において提示されたものをまとめると、次のようになろうか。
 1.民俗誌の記述者はどのようにして民俗学的認識を立ち上げ記述しているのかを提示しなければ、記述が正確に伝わらないのではないかということ。
 2.世代ごとの三番叟とその伝承に対する認識の差を提示すること。
 3.三番叟伝承者と非三番叟伝承者の認識の違いを提示すること。
 4.地方のムラ組織の中で、若者が三番叟を伝承する意味を描き出すこと。
この論文は後に「天下御免の三番叟、その後」が書かれて、間違った認識の訂正を含めて見直されることになる。この論文において描き出したものは、従来民俗学や民俗芸能を扱う論文とあまりにも違うものとなったので、ほとんど引用されず、批判もされずに今日に至っている。
 しかし、改めて振り返ってみれば私がもっとも目指したかったのは、「研究者は民俗伝承にどう対峙すべきか」という研究者の立ち位置の問題だったのかも知れない。それをこの論文では「ナマの記述」と表現していた。そしてそのことが通常の研究者と異なるものであることが、先日の國學院大學伝承文化学会での議論の、それぞれの発題者の立ち位置に象徴的に現れているように思われる
 今回の発表では、研究者の立ち位置と「ナマの記述」についての卑見を述べ、参加のみなさんから是非ともご意見を伺いたいと思う。

※参加される方はお申込みフォーム(https://bit.ly/3hdVDzP)よりお申し込みください(10月28日締め切り)。
※Zoomを使用します。対応するブラウザはChrome、Mozilla Firefox、Microsoft Edge、Apple Safariです。当日、ミーティング情報をお申込み時にいただいたメールアドレスにお送りします。
※タイトルは変更される可能性があります。

2021年4月22日木曜日

第17回研究会のお知らせ


第17回研究会を下記の通り開催いたします。

ふるってご参加ください。

日時: 2021年6月19日(土)14:00~ (オンライン形式)

※参加される方はお申込みフォームよりお申し込みください(6月16日締め切り)。

※Zoomを使用します。対応するブラウザはChrome、Mozilla Firefox、Microsoft Edge、Apple Safariです。当日、ミーティング情報をお申込み時にいただいたメールアドレスにお送りします。

報告1:伊藤純(川村学園女子大学)

「「伝承者」と言われて・・・―芸能研究におけるオートエスノグラフィ分析」

 発表者は毎年8⽉に故郷の神社のお祭りで獅⼦舞を奉納し続けている。かれこれ20年になるかと思う。そのためか、しばしば「獅⼦舞の伝承者」として紹介されることがある。こうした「伝承者」というラベルを貼られるたびに、その状況を受け⼊れながらも、「伝承者」という⾔葉に違和感を覚え、時には地元の仲間に対する後ろめたさを感じていた。発表者がすすんで「伝承者」と名乗ることはほとんどない。 

 俵⽊悟は「「伝承者」とか「担い⼿」というような⾔葉を、ある⺠俗芸能を担う複数の、様々な⽴場の⼈々を⼗把⼀からげにして、違和感を感じることもなく使い続けてきたという点で、⺠俗芸能研究の右に出るものはないのではないか。」とこの⾔葉に疑問を呈している[俵⽊2009]。その指摘より10余年経った現在もさして状況は変わらない。むしろ、東⽇本⼤震災やコロナ禍としばしばセットで取り上げられる「⺠俗芸能の危機」とあいまって「伝承者」という⾔葉の存在がますます⼤きくなっている。

 そこで本発表では⺠俗芸能に関わる⼈々を「伝承者」と⾔い表すことによって「顕在化されるもの/潜在化されるもの」について考察する。そのために「伝承者」と⾔われ続けて久しい発表者じしんのこれまでの経験を社会的⽂脈に置き直し、分析する。こうした⽅法はオートエスノグラフィという⽅法にあたるが、本発表では「調査者が⾃分⾃⾝を研究対象とし、⾃分の主観的な経験を表現しながら、それを⾃⼰再帰的に考察する⼿法」として捉えておく[井本2013]。実演者が少なくない芸能研究において、⾃⼰の経験を考察の対象とすることの意義も同時に⽰したい。

※参考文献

井本由紀2013「オートエスノグラフィー」『現代エスノグラフィー―新しいフィールドワークの理論と実践』新曜社

俵木悟2009「民俗芸能の「現在」から何を学ぶか」『現代民俗学研究』1



報告2:鈴木昂太(東京文化財研究所 研究補佐員)

「 芸態研究の可能性―岩手県北上市和賀大乗神楽の事例に基づいて―」  

 芸能文化研究会第14回研究会では、久保田裕道氏が「芸態研究のススメ」と題した発表をされた。芸態の分析方法をさまざまな実例を挙げて説明された久保田氏の問題提起は、今後の民俗芸能研究の在り方を考えるうえでも重要なものである。そこで今回の発表では、筆者なりの芸態研究の方法(可能性)を提示することを目的としたい。

 芸態研究においては、「芸態」という言葉の定義を確認するとともに、以下の二つの問題が考えられる必要がある。

 一つ目は、演ぜられている芸能を、どのように把握(理解)し、芸態として取り出すかという認識論的な課題である。一つの芸能は、舞(身体表現)や奏楽などさまざまな要素から成り立っている。そのうちの何を、どの視点から把握すれば、芸能を理解したことになるのだろうか。

 二つ目は、把握した芸態(データ)を、どの視点から分析し、論として広げていくかという問題である。筆者は、ある一つの芸能の芸態を理解した後には、他の芸能との比較や論者それぞれの観点から考察を行うなどして、より多くの研究者の関心を集めるかたちで芸態(データ)を提示しなければならないと考えている。こうした「翻訳」の作業は、芸態研究を実りあるものとするためには必須である。ただの芸態分析に留まらず、芸態のあり方から立ち上げた論を広げる分析方法には、どのような視点があるのだろうか。

 以上の課題を、岩手県北上市煤孫地区に伝承される和賀大乗神楽の事例に基づいて検討していきたい。その際には、神楽の伝承者が自身の舞を説明する際に語る「手次」という概念に注目して論じていく。


2021年2月26日金曜日

第16回研究会のお知らせ




第16回研究会を下記の通り開催いたします。

新型コロナウイルス感染拡大を鑑みオンライン形式で開催します。

多くのご参加をお待ちしております。


日時: 2021年3月20日(土)14:00~ (オンライン形式)

報告1: 荒木真歩 ( 神戸大学大学院 )

薩摩硫黄島の民俗芸能の現在ー三島村の民俗・人類学的研究史をふまえてー

 硫黄島とは、鹿児島県鹿児島郡三島村に属する離島であり、両隣にある竹島・黒島とあわせて三島村を構成している。硫黄島は周囲145㎞、面積1165㎡の小島でフェリーでは鹿児島港から約4時間かかる。人口は約120人で、島には中学までしかなく高校進学と共に鹿児島に出るのをきっかけに帰村する人は少なく、移住者は一定数いるものの過疎化・高齢化が進んでいる。

 一方で硫黄島は俊寛伝説があることから歌舞伎役者の故・中村勘三郎が硫黄島を舞台に俊寛を演じたり、西アフリカの太鼓ジャンベが持ち込まれアジアで初めて開校したジャンベスクールによる国際ワークショップがあったり、2018年には「来訪神」を構成する一つとして、八朔の行事に登場するメンドンがユネスコの無形文化遺産の代表一覧に記載されるなど、国内外の様々な点から注目されている。

 本発表では対外的に複数の点でのみ知られてきた硫黄島を中心にまずは三島村の歴史的背景を押さえ、民俗学や人類学の分野で三島村がどのように調査されてきたのかを整理する。その上で芸能を通して硫黄島の現在を紹介する。
 三島村の歴史はあまり知られていないが、三島村という村が誕生したのは1946年で、今年は村立75年目を迎える。三島村はそれまで十島村(としまむら)と共に、十島村(じっとうそん)の名で同じ行政下にあった。終戦と同時に北緯30度以南の下七島(現十島村)が米軍の行政下になったことをきっかけに三島村として分村した。
 調査は1934年5月におこわなれた、渋沢敬三を中心とするアチックミューゼアム調査「薩南十島調査団」の影響が大きい。この調査に参加していた早川孝太郎の三島村(特に黒島)の調査がなければその後の民俗学的調査の発展はなかったと言っても過言ではない。1980年代になると社会学・人類学的調査が増え、年齢階梯制、親族関係、そして伝統的諸慣行の調査が進んだ。
 芸能や伝統行事に関しては、八朔太鼓踊りとメンドン、ハシタマツ(柱松)と盆踊り、九月踊りを対象に民俗学者らによって文化財調査として内容の報告がなされたり、歌詞の検討、鹿児島県下の芸能として分布研究がなされてきた。しかしこれまでの社会学・人類学的な研究とは関連付けて言及されてこなかった。ゆえに発表の最後には現在の芸能の実践をとおして島の社会的状況を描き出す。

報告2:髙久舞(國學院大學兼任講師)

八王子市小泉家を中心とした芸能の系譜とネットワーク

 民俗学における「伝承者」とは「ある社会の人々として集団的にとらえられることが、伝承者を論じるときの前提」として考えられ、これは民俗芸能の伝承者においても同様であり、個ではなく集団であること、また専業者ではなく非専業者がその対象であった。しかし実際に芸能が伝承される場では、集団を形成している個々人は一人ずつ個性のある人物であり、特にその芸能を次世代、他空間へ伝承する際には少なからずある特定の個人が関わっている。 
 1990年代以降、民俗芸能研究は「現場主義」「実践主義」が研究の主体となっていく。研究の潮流が変わる文脈の中で改めて注目されたのが、民俗芸能が伝承される上で存在する「個」であった。「異常人物」や「独創的かつ個性的な人物」に対する言及(橋本2006、2015)や、「民俗社会と演技者個人の〈知〉や個性」(大石2007)や人々の関係性と日常に注目する(松尾2011)など、各研究者が民俗芸能の伝承における「個」について関心を寄せているが、これらはいずれも単発的であり、民俗芸能のパーソナル研究としてまとまったものはない。
 筆者の考える民俗芸能のパーソナル研究とは、伝承者である個々が様々な立場から関係性を見出し、その関係性の中で芸能を伝承していくという考えを基点としている。その中には「異常人物」や「独創的かつ個性的な人物」も含まれているが、この「異常人物」を受容するか否かも伝承における一つのあり方として考えるべきだろう。筆者はこれまで拙著(高久2017)、拙稿(高久2018)のなかで芸能伝承における個の存在について言及しているが、これに対して俵木は「個性的なものと集合的・共同的なものに対立させるのではなく、両者をともに視野に収め、その絡み合いを解き明かす方向性」(俵木2019)と指摘する。
 本発表では俵木の指摘する個と集団の絡み合いを解き明かす方向性を見出すための端緒として、八王子の神楽師である小泉家の人と芸の痕跡を追いながら、彼らが与えた影響と役割や影響を与えられた側との関係性について明らかにすることを目的とする。

参考文献
橋本裕之2006『民俗芸能研究という神話』森話社
橋本裕之2015『芸能的思考』森話社
大石泰夫2007『芸能の〈伝承現場〉論』ひつじ書房
松尾恒一2011「柳田国男と芸能研究、柳田国男の芸能研究」小池淳一編『国立歴史民俗博物館研究報告 第165集〔共同研究〕日本における民俗研究の形成と発展に関する基礎研究』国立歴史民俗博物館
高久舞2017『芸能伝承論-伝統芸能・民俗芸能の演者と系譜』岩田書院
高久舞2018「伝承キーパーソンと祭囃子-東京都大田区、神奈川県川崎市を中心に-」『國學院雑誌』第118巻第4号
俵木悟2019「民俗芸能を開く/拓く」『日本民俗学』300号 日本民俗学会

※参加される方はお申込みフォームよりお申し込みください(3月19日締め切り)。

※Zoomを使用します。