第24回研究会を下記のとおり開催いたします。
多くのみなさまのご参加をお待ちしております。
継承の主体に着目した芸能・祭礼研究ー共同体、わざ、身体をめぐって
日時:11月16日(土)14時〜
会場:國學院大學 渋谷キャンパス若木タワー5階0502
趣旨説明:田邉元
発表者:高久舞、相原進、中里亮平(発表順)
※参加される方はお申込みフォーム(https://forms.office.com/r/bfwmGBTY1X)よりお申し込みください(2024年11月14日締め切り)。
※オンライン会場を予定しております。ZOOMを使用します。申し込みいただいたすべての方に、当日、ミーティング情報をメールでお知らせいたします。
※タイトルは変更される可能性があります。
企画趣旨(田邉元)
本報告は、芸能、祭り、舞踊、スポーツなどの、わざの継承に関わるひとにフォーカスし、そうしたひとが何をしているのかを捉え、そこから個々の関心に沿った議論を行う。その上で、ひとへの着目から、どういった研究の可能性が浮上するのかを検討したい。
わざの継承について、ひとに着目するのはなぜか。本研究グループは、発表者の一人である高久が提唱した「伝承キーパーソン」(高久 2017b)という概念の検討を行うために、フィールドワークを研究方法とする研究者たちにより組まれたグループである。高久によれば「伝承キーパーソン」とは、三隅や橋本が用いた「異常人物」(三隅 1969; 橋本 2006)という語を検討した概念である。芸能伝承における「個」に着目した高久は、「個」が「芸能を伝承する上で芸能の普及、芸態維持の保証、芸能伝承組織の結束力を作り上げている」ことを指摘した(高久, 2017a, p.391)。高久はそうした自身が行った議論を踏まえて、「伝承キーパーソン」概念を提示し、わざの伝承におけるひとの動向や、そのひとが持つネットワークを明らかにすることで、その外縁的な広がりを捉えることを目指してきた。確かにわざの継承をめぐる議論は、何かしらの組織立った集団を前提に考えられているものが多い。もしくは、その集団を牽引する人物、すなわち家元や宗家と呼ばれるような人物に着目するものが浮かぶ。しかし例えば、わざの継承には直接関わらないパトロンのような人物が、その継承のあり方を大きく左右している場合もあるだろう。あるいは、わざを価値づけて世に広めようとする研究者も、場合によってはキーパーソンになり得るだろう。そのように考えた時、いわゆる継承組織として想像される外縁は、より広域である可能性も考えられる。そして、こうした議論は高久が対象としてきた芸能に限らず、祭りや武術、スポーツなどにおいても拡張可能であろう。では、そうしたひとからわざの継承を見直したとき、またはそうしたひとの持つわざの継承に関わるネットワークを見直したとき、何がみえてくるのか。本研究グループの議論はここから始まった。
本研究グループでは、すでに使用している通り、わざを平仮名で表記している。わざは、「技」・「業」・「ワザ」、もしくは”skill“や” technique“、”art“などの表記が使用されている。そうした中で、平仮名のわざを今回採用した理由はなぜか。前述のとおり、本研究グループは「伝承キーパーソン」概念を呼び水に集まった研究者により議論がされてきた。集まったメンバーの専門は民俗芸能研究、都市祭礼研究、スポーツ人類学、芸能研究と、対象とされる世界は同じ、もしくは隣接している。しかし、わざをめぐる用語は「芸態」、「所作」、「身体技法」など分野によって異なっており、その議論の積み上げも全く違う。例えばスポーツ人類学であれば、民族スポーツが観光化するなかでそのわざの変容に注目した研究の蓄積が多いが、それらの議論の多くはM・モースの「身体技法」論を前提としているため、集団によりわざが継承されることを暗黙の了解のうちに描いてきた。こうした前提の違いは、しばしば議論のなかで微妙なズレを生じさせてくることもあった。また、我々の対象がいずれも日本国内において実践されるものであるため、そうした実践に対して海外由来の語や概念を充てて理解するので良いのかという議論もあった。こうした議論を踏まえたうえで、もっとも適当であり、その範囲を広く捉えられる語としてわざを用いることとした。
わざの学習現場において、ひとがどのようにわざを習得しているのか、そしてわざの習得がそのひとの生きる世界においてどういった意味を持つのかについては、人類学や社会学、民俗学を中心に一定の蓄積がある(例えば、菊地(2005)や大石(2007)など)。かつて高久が検討した「異常人物」のような存在は、社会学を中心に近年着目される「シリアスレジャー」論の議論にも通じる(宮入・杉山 2021)。子どもの習い事だったはずが、いつの間にか指導者の資格を取り休日返上でスポーツを熱心に教える親、生涯をかけてわざの習得を目指す中年古武道実践者、祭りの魅力を人びとに発信し続けるために日夜走り回るYouTuberなど、シリアスに取組む「普通」の人びとが、わざの継承の世界を支えていることは間違いない。彼らの取組方もまた、わざの継承をめぐるダイナミクスを生み出しているはずだ。
以上を踏まえ、本報告では「伝承キーパーソン」論をスタート地点としつつ、わざを継承するひとに着目する視点からどういった議論ができるのかを報告者3名がそれぞれに提示する。報告者3名は冒頭で述べたように、方法としてフィールドワークを採り入れている点は共通している。民俗芸能、巷間芸能、都市祭礼と、それぞれに対象が違う中で、わざの継承と関わるひとについて議論をしたい。
引用文献
橋本裕之2006『民俗芸能研究という神話』, 森話社.
菊地暁2005「僕は、昔、皿洗いだった―技能と身体」、菊地暁 編『身体論のすすめ』, 丸善出版.
三隅治雄1969「民俗芸能の生き方」, 三隅治雄・伝統芸術の会 編『伝統と現代⑦ 民俗芸能』, 学芸書林.
宮入恭平・杉山昂平 編2021『「趣味に生きる」の文化論―シリアスレジャーから考える』, ナカニシヤ出版.
大石泰夫2007『芸能の〈伝承現場〉論: 若者たちの民俗的学びの共同体』, ひつじ書房.
高久舞2017a『芸能伝承論 伝統芸能・民俗芸能における縁者と系譜』, 岩田書院.
高久舞2017b「伝承キーパーソンと祭囃子;東京都大田区、神奈川県川崎市を中心に」, 『國學院雑誌』118(4), pp.198-210.
高久舞「わざの向上と継承をめぐる問題ー八王子の祭囃子を事例として」
祭囃子の伝承には集団的に捉えるのではなく、ひとの動きを注視することで明らかにすることができると考える。発表者は以前、「伝承キーパーソン」という言葉を使用して、祭囃子の伝承について検討したが、わざの継承については課題となっていた。祭囃子のわざをひとはどのように獲得するのか。そして、そのわざは継承組織にどのような影響を及ぼすのか。本発表では、祭囃子のわざについて、ひとと継承組織、芸能が披露される祭礼の場の関係について考えていきたい。
相原進「大道芸におけるわざ・環境認識の伝承-人類学的調査とデジタル・ヒューマニティーズの併用による分析の試み」
これまで発表者は、林屋辰三郎の「環境論」をおもな手がかりとしながら、演者、観客、そして芸能を取り巻く環境との関係に着目した研究を進めてきた。本発表では大阪市に拠点を置くちんどん屋「ちんどん通信社」を調査対象とする。このグループは1984年に林幸治郎氏によって立ち上げられ、現在22名のメンバーが所属している。ちんどん屋でのわざの習得は見習いが基本で、系統立てた指導はおこなわれてこなかった。しかし林氏は現場での指導に加え、私塾「囃子塾」の主催や教則ビデオの作成などによる指導を実践してきた。
そこで本発表では林氏を「伝承キーパーソン」として捉えた上で、演者によるわざの実践と、路上における環境認識の方法について、師弟間での比較をおこなうことを通じてそれらの特徴を明らかにする。わざと環境認識の方法については、参与観察や聞き取りに加えてモーションキャプチャや視線計測を併用することで分析の深化を図る。
中里亮平「資源獲得というわざの継承と地域共同体の伝統-角館における世代を超えた継承の意味-」
キーパーソン概念の研究、及び関連研究においてもわざをどのように定義するかはいまだ曖昧なままである。そこで発表者は身体技術に限られないわざという概念の拡大と他分野の研究との接続を目指す。
注目するのは地域共同体における知的伝統といえるような地方と中央を接続し資源を獲得するわざの継承である。具体的には角館における特徴的なひとによる資源獲得のためのわざが世代を超えて継承されている事例をとりあげる。わざの継承においてひとに着目することは今回の発表全体に共通するものである。本発表は、わざとひとというキーパーソン研究の主題を歴史と地域共同体という普遍的なテーマと接続すること目指すものである。
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