2019年1月17日木曜日

第十二回研究会のお知らせ




第12回研究会を下記の通り開催いたします。

日時: 2019年3月9日(土)14:00~
於 :早稲田大学戸山キャンパス39号館4階 第4会議室
   (新宿区 戸山1−24−1)

報告1:舘野太朗
「笹原亮二「ある民俗芸能家の肖像―永田衡吉の仕事を巡って―」を読む」
 笹原亮二「ある民俗芸能家の肖像―永田衡吉の仕事を巡って―」は、民俗芸能研究の会/第一民俗芸能学会(以後、「第一」と表記する)で行われた報告をもとに、『藤沢市史研究』25(1992年)に発表された論文である。のちに笹原亮二『三匹獅子舞の研究』(2003年、思文閣出版)にも収録されている。永田衡吉(1893~1990)は、劇作家として活動するかたわら、小寺融吉とともに「民俗藝術の会」の幹事を務めるなど、草創期から民俗藝能の研究と実践に関わってきた。太平洋戦争後の民俗藝能研究をリードした本田安次(1906~2001)よりもひとまわり年長であり、生涯、劇作家を名乗り続けた永田は、「正しい民俗芸能研究」の確立を目指した「第一」からすると、格好の標的であったのかもしれない。本報告では、民俗藝能の実践に着目して、笹原による永田批判の再検討を行いたい。

報告2:小林敦子(明治大学アジア太平洋パフォーミングアーツ研究所)
「観光化されなかった「阿波おどり」-「津田の盆踊り」の位置づけの変遷―」
 「阿波おどり」は、徳島市中(城下町)の盆踊りに昭和初期からの観光政策によりつけられた呼称である。元来は盆の時期になると老若男女が様々な集団を組み、にぎやかなお囃子に合わせ踊りながら通りを練り歩く形式であった。徳島県内の吉野川に沿った地域にも、徳島市中の盆踊りと同様の盆踊りが行われていた。「阿波おどり」は観光政策により観客に見せるショウとなり、即興的な自由な踊りから、「女踊り」および「男踊り」という様式が確立し、踊りの動作を揃え、様々なフォーメーションを組む群舞となった。吉野川地域の盆踊りも、また戦後に全国約60カ所で取り入れられた「阿波おどり」祭りでも、市中の「阿波おどり」が手本とされている。
 この中で徳島市東部沿岸の津田地区の「盆(ぼに)踊り」(注:「ぼに」は方言)は特異的で あり、市中の盆踊りの観光化に追随することなく、戦後も機知に富んだ唄と自由な踊りが伝承されていた。しかし津田地区の住民も次第に市中の華やかな「阿波おどり」に参加するようになり、昭和40年代には衰退した。その後民俗芸能保存政策の潮流により昭和61年に保存会が結成され、津田地区を中心に盆の時期だけではなく各種イベントで公演を行っている。保存会の結成時には津田地区の風習を基に海難事故で亡くなった人の霊を呼ぶ儀式が構成され、踊りの前にはこの儀式が行われており、「津田の盆踊り」は精霊踊りと位置付けられ、ショウ化した「阿波おどり」で失われた信仰を保持していると表象されている。本発表では「阿波おどり」の変容に伴う「津田の盆踊り」の位置づけの変遷をたどり、民俗芸能の機能について考える。

議論への積極的な参加を歓迎します。
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