来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
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日時:2018年7月1日(日) 14:00~
於 :早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
(〒169-0071 東京都新宿区戸塚町1-101 高田牧舎2F ℡03-3203-0363)
報告1:半戸 文 (國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻博士課程後期)
「芸妓のもてなしと芸―1920年代から30年代を中心に―」
芸妓や花街は江戸時代に誕生したものであり、近代以前の伝統的なイメージをもたれているが、近代において大きな発展を遂げたという事実はあまり知られていない。東京において芸妓の需要が高まったのは、東京に集中する政治家や財閥などの富裕層が積極的に利用したこと、また大都市において庶民の娯楽消費が拡大したためだと考えられる。昭和戦前期の東京では、都下50程度の下町(旧市街)や、山の手(新興地域)から小規模町村に至るまであらゆる地域で営業を行っていた。
本報告では、花街を遊興空間(飲食を含む娯楽空間)、芸妓を接客業従事者として位置付け、東京における芸妓の職掌とその特徴を明らかにすることを目指す。芸妓の本来の職掌は、宴席にて芸を演じて客をもてなすことである。そのために必要な芸の基礎的な習得過程と、さらに上級的な習得過程について、三味線音楽を中心に事例を取り上げて実態を明らかにしたいと考える。
さらに、明治期後半からカフェが出店をはじめ、徐々にカフェの女給は同じ接客業者として、芸妓の競合相手と目されるようになる。時代のニーズと都市の発展による娯楽の多様化に伴い、芸妓のもてなしのあり方も変化する中で、芸に特化した芸妓と、女給同様の芸妓に分岐していった背景とその流れを示すことを目指す。
報告2:松岡 薫 (筑波大学博士特別研究員)
「俄の演技にみる反復性と一回性―熊本県南阿蘇地方を事例に―」
俄(にわか)とは、どのような芸能なのか。
芸能辞典で調べると、「素人の即興芝居」(郡司正勝1952「俄」国劇向上会編『藝能辞典』東京堂出版)や、「即興で思いついた芸能」(宮田繁幸2010「にわか」神田より子・俵木悟編『民俗小辞典 芸能』吉川弘文館)だと説明される。また、郡司正勝はその著作のなかで、俄について「にわかに仕組んだ、つまり即興劇」であり、「一回切りの、二度とはやれないという「一回性」」が俄の本質だと述べる(郡司正勝1977『地芝居と民俗』(民俗民芸双書58)岩崎美術社)。このように、「即興的」で「一回的」な演技であることが俄の最大の特徴だと、これまでの研究では強調されてきた。
しかしながら、発表者が長年調査を行ってきた熊本県阿蘇郡高森町で演じられる俄は、半月間にわたる稽古期間を経て演じられるものであり、その演目内容や、俄の特徴である最後の「落とし」は、上演の場での思いつきや即興で演じられるものではない。さらに、上演の前後に述べられる「口上」や「御花の披露」は決められており、「落とし」の場面でも定型的なやり取りが観察できた。確かに高森町の俄でも即興的で一回的な演技が指摘できるが、他方で同一の演技を反復的に演じている点も指摘できる。つまり、こうした一回的な演技と反復的な演技が、俄の演技を構築しているといえる。
本発表では、熊本県高森町で演じられている俄を事例として、上演の場において演者たちがどのように俄が演じているのかを、祭礼での上演の観察から分析する。さらに、俄の演技がいかに作られ、習得されているのかを明らかにするため、稽古の場にも注目する。最後に、これらの分析から俄の演技にみる反復性と一回性について検討したい。