2018年2月14日水曜日

第九回研究会のお知らせ

第九回研究会のお知らせです。

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geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)




日時: 2018年3月10日(土)14:00~
於 :早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
  (新宿区戸塚町1-101 高田牧舎3階)
発表者
 黛友明(神奈川大学国際常民文化研究機構共同研究者)
 小泉優莉菜(博士、歴史民俗資料学、公益財団法人 ポーラ伝統文化振興財団学芸員)

報告1:黛友明(神奈川大学国際常民文化研究機構共同研究者)
「「素人」と「専業者」を分つもの、繋ぐもの」
 民俗芸能についての定型的な説明のひとつに、「専業者ではない素人(農民)の芸能」というものがある。これは、能や歌舞伎といった伝統芸能でも、落語や講談、浪花節といった大衆芸能でもないものというニュアンスを含んでいる。ただ、芸能史と不可分に成立してきた民俗芸能研究では、実際には、生活の糧を得るための「専業者の芸能」も射程に入れたうえで調査研究が進められてきた経緯もある。歴史的にみれば、多様な宗教者や芸能者が各地の民俗芸能の成立に関与してきたことは否定できないため、それは当然のことであった。だが、そうなると、「素人」と「専業者」という枠組みが、逆に足枷になるのではないかとも思えてくる。
 もちろん、「素人の芸能」という言い方は、便宜的なものであり、わかりやすく対象を研究者以外にも伝えるために有効なものだろう。だが、そうであるがゆえに、何となく人びとを納得させてしまう、民俗芸能という言葉のイメージと問題点が、凝縮して表れているのではないか。
 本発表では、発表者が継続してきた「専業者の芸能」である、伊勢大神楽を取っ掛かりとしながら、「素人の芸能」という説明を「民俗」という概念との関係で理解しながら、芸能文化に対する民俗学的な研究のあり方について考えるための問題提起としたい。


報告2:小泉優莉菜(博士、歴史民俗資料学、公益財団法人 ポーラ伝統文化振興財団学芸員)
「かくれキリシタン信仰再考―オーラル・ヒストリーを視座として―」
 「かくれキリシタン信仰」と聞くと、多くの人は、江戸期の弾圧や処刑、踏み絵などを思い浮かべるだろう。しかし、この信仰は過去の遺物ではなく、現代においても綿々と受け継がれている。発表者は今までの研究の中で、高度経済成長や世界遺産登録活動が、信仰形態に大きな影響をもたらしていることを明らかにした。現代の伝承者の語りに耳を傾けると、われわれが「キリシタン」という言葉に抱いてきた「血生臭く神秘的」なイメージの裏には、より現実的な生活の営みがあったことを知ることができる。本発表では、今までの研究を振り返り、オーラル・ヒストリーが、「かくれキリシタン信仰」に対するイメージの再考を促す有力なアプローチであることを示す。