2015年12月13日日曜日

第四回研究会のお知らせ

第四回研究会のお知らせです。

日時:2016年1月23日(土)
会場:早稲田大学早稲田キャンパス施設名:3号館706号室(演習室)
報告者:川﨑瑞穂さん(国立音楽大学大学院博士後期課程)、矢嶋正幸さん
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)







【要旨】
川﨑瑞穂「民族音楽学的芸能史研究試論」
 石塚尊俊はその著書『里神楽の成立に関する研究』(2005)の中で、史料の乏しい里神楽の史的研究においては、史料だけではなく、舞所・飾餝・面・衣裳・執物・曲目・所作・奏楽・詞章といった諸要素を個別に比較分析する必要があると述べている。この「曲目・所作・奏楽」という視座から、従来の「出雲流神楽」の史的研究に異を唱えたのが森林憲史である。森林は、関東地方の出雲流神楽における「三つ拍子(テケテットン)」という囃子を研究し、この囃子が、反閇や剣印などといった、山伏神楽の所作と密接に関係していることを明らかにした。楽曲から芸能を見ることの重要性を指摘し、その実例を示した森林の功績は正当に評価されねばならない。
 ところが、音楽を専門としていない研究者にとっての音楽分析のむずかしさもあいまって、この分野の研究は進んでいるとは言えない。そしてこの進捗の遅れは、発表者のフィールドである秩父地方の神楽の研究領域においても同様に見出される。
 本発表では、倉林正次、栃原嗣雄、小野寺節子、三田村佳子、森林憲史らによる秩父地方の神楽の研究史を辿り、「民族音楽学的芸能史研究」の必要性を述べる。クロード・レヴィ=ストロースが『神話論理』の第1巻『生のものと火を通したもの』(1964)の「序曲」において、音楽という謎が人文科学の最後の謎であると同時に、進歩の鍵を握っていると述べているが、本発表では、発表者のこれまでの研究を紹介し、音楽が民俗芸能の史的研究における多くの謎を解く鍵を提供してくれることを示したい。


矢嶋正幸「都市祭礼としての三匹獅子」
 三匹獅子は東日本を代表する民俗芸能であり、その伝承地は1400か所を超える。しかしながら箱根を境にして西日本には数えるほどしか存在していない。その数少ない例外が福井県小浜市の雲浜獅子である。この獅子は寛永11年(1634に武蔵国川越藩主であった酒井忠勝が若狭国小浜藩に転封となったさいに渋る演技者を優位な条件で川越から連れてきたことから始まる。彼らは足軽として酒井家に仕え、関東組という他の足軽とは一線を画す存在となった。そして毎年6月に城下町を挙げておこなわれていた小浜祇園会で獅子舞を演じてきた。
 獅子が移入された近世初期は幕藩体制の確立にともない、城下町の建設ラッシュが起こっていた時期に当たる。酒井忠勝もまた転封後に小浜城下町の整備をおこなっている。雲浜獅子もこうした都市空間が形成される中で関東から移入されたのである。
 三匹獅子が分布するのは圧倒的に農山村に多いため、風祭・雨乞いなどの農耕儀礼との関係で論じられることが多かった。しかし三匹獅子は農山村だけではなく、川越・水戸・掛川などの城下町や、佐原・本庄などの在郷町や宿場町といった都市空間にも少なからず存在している。小浜と川越を中心に、都市祭礼として三匹獅子をとらえなおすことで、この芸能の違った側面を見ていきたい。

2015年8月20日木曜日

第三回研究会のお知らせ

第三回研究会のお知らせです。
今回は成城大学が会場です。
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:9月12日(土) 14時~
場所:成城大学3号館7階ラウンジ
   (東京都世田谷区成城6-1-20)
発表者:伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員)・田村明子(成城大学大学院)











































【要旨】
伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員)
「民俗芸能の文化資源化と自律的伝承―三宅島の牛頭天王祭の太鼓を事例にして―」
 伊豆諸島の一つ三宅島。島には「神着木遣太鼓」という芸能が伝えられている。和太鼓に興味がある人ならば、三宅島と太鼓というワードで、佐渡を拠点とし世界に活動を広げる太鼓集団・鼓童の「三宅」という演目を想起する人も多いだろう。単純化すれば、三宅島の民俗的身体文化の一つであった牛頭天王祭の「太鼓」を素材として、鼓童が舞台芸術化して創出されたものが「三宅」という演目といえる。そして、現在では鼓童のみならず国内外で広く叩かれる和太鼓の代表的な演目の一つになっている。
 祭の構成要素の一つにすぎなかった「太鼓」とその技術は、島内では文化財指定を機に命名された「神着木遣太鼓」として定着し、島外では「三宅」として人々の手に広がっている。こうした文化資源化の過程で、さまざまな位相の芸能のネットワークが構築され、現在の祭に少なからず影響を与えている。本発表では、昭和45年の保存会発足以来、「神着木遣太鼓」の名手として知られるメンバーの語りをもとに、およそ50年のテンノウサマの変化をみる。我彼の関わりのなかで生じた舞台化への抵抗感、技術の巧拙、地域社会への新たな芸能のネットワークの受け入れ、祭での振る舞い、人口流出など当事者が当たり前に抱える課題への葛藤と克服のなかから、祭と民俗芸能がどのように自律性を担保しているかに注目して考察する。

田村明子(成城大学大学院)
「神楽の伝え方と見せ方―稽古の在り方を通して―」
 民俗芸能は稽古によって継承が行われる。この稽古の場や方法は、各々の民俗芸能や地域によって異なり、伝承上では相関関係が認められる民俗芸能であっても、双方の稽古の在り様まで同じであるとは限らない。このような稽古の相違は、民俗芸能の奉納や上演に多かれ少なかれ影響を与えると考えられる。あるいは逆に、奉納や上演の在り様がそれぞれの稽古を形作っているとも考えられる。
 本発表では、現在も関東で伝承される採物神楽のいくつかを対象とし、その稽古の在り方に着目する。埼玉県には、いくつかの著名な採物神楽が伝承されている。それぞれが神社に所属し、基本的には神社の例祭で奉納される。鷲宮神社で伝承される土師一流催馬楽神楽は、神楽殿と参集所の二か所で稽古が行われる。それぞれの場所で行われる稽古の参加者は異なっており、稽古の方法にも差異がある。参加者の差異は催馬楽神楽の歴史、また教育機関や自治体などの外部組織との関係に由来しており、そしてこの差異が、それぞれの稽古の方法にも違いを生じさせている。一方、東京都内に拠点を置く採物神楽は、埼玉県内の神楽とは様相を異にしている。新宿を拠点として、都内の複数の神社で神楽奉納を行っている萩原彦太郎社中は、区営の市民センターや神楽師の自宅で稽古を行う。これは、萩原彦太郎社中が特定の神社に所属する神楽師集団ではないためである。
 催馬楽神楽や埼玉県内のいくつかの神楽は、それぞれ独立して稽古を行っているが、萩原彦太郎社中は神楽師集団である若山社中から招いた神楽師を師匠とし、全員が一人の師から教わるという形式での稽古を行っている。このような形式は、萩原彦太郎社中と若山社中が、集団としては兄弟的な関係にあたること、また奉納にあたっては互いに連携を取り合っているという事情とも関わっている。必然的に、萩原彦太郎社中と若山社中の神楽には共通点が生まれる。他方、催馬楽神楽を始めとする埼玉県内の神楽保存会は、交流は皆無に等しい。それぞれの神楽保存会が独立していると言うことができる。
 本発表では、各神楽の稽古を通して、神楽あるいは担い手である神楽師が何を伝え、何を見せようとしているのかについて検討を行う。これによって、現代社会における神楽の継承の在り方が見えてくるものと考えられる。

2015年6月25日木曜日

第二回研究会のお知らせ

第二回研究会のお知らせです。
ふるってご参加ください。

日時:7月16日(木) 16時~
場所:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)高田牧舎2階
    新宿区戸塚町1-101
発表者:鈴木昂太(総合研究大学院大学)・松岡薫(筑波大学大学院/中央大学校)


要旨
●鈴木昂太「民俗学は神楽をどのように論じたか―牛尾三千夫による「祖霊加入の儀式」論をめぐって―」
 中国地方の神楽と田植習俗の偉大な研究者であり、自らも大元神楽の執行する神職であった牛尾三千夫(1907~1986)。彼の神楽論として著名であり、後世の研究に大きな影響を与えたものが、広島県庄原市東城町・西城町の神職と神楽団に伝承される比婆荒神神楽を「祖霊加入の儀式」と捉える論である。本報告では、牛尾の祖霊信仰としての神楽論を民俗学の研究史のなかに位置づけ、その内実を検証し、彼の研究方法の問題を明らかにする試みを行う。
 具体的には、まず、柳田をはじめとする民俗学が作りあげた祖霊信仰論を、農政・村落組織(家・同族・名)・氏神論の観点から整理し、祖霊と同族概念に関する問題を指摘する。続いて、問題を抱えた祖霊信仰論が牛尾によってどのように比婆荒神神楽に投射されたのかを確認し、その後の研究のなかでどうやって補強され、結果として現地の伝承にどんな影響を与えたのかを検証していく。この作業を通して、民俗学が民俗芸能・神楽をどのように捉えてきたのかを提示し、民俗芸能研究における研究方法の問題を提起していきたい。

●松岡薫「俄を演じる人々―熊本県阿蘇郡高森町の風鎮祭を事例に―」
 民俗芸能研究において、「誰がその芸能を演じるのか」という問いは、重要な関心事の1つである。
 熊本県阿蘇郡高森町の風鎮祭では、「向上会」と呼ばれる青年組織に加入する青年たちによって毎年俄が演じられる。向上会は、大正15(1926)年に、既存の青年団とは異なるものとして新たに組織された。戦後に青年団が解体された後は、向上会が青年団の活動も引き継ぐようにになったが、それ以前には、両者の活動は明確に区分されていた。現在の向上会には厳格な入会規定はなく、高森在住の青年であれば誰でも入会できる。その一方で、住民に対し、入会への強制力も働かないため、入会者の減少で組織運営が困難になってきている町内も存在している。つまり、現在の向上会は、青年であれば、誰でも入会できるが、誰しもが入会するわけではないのである。更に、向上会の構成員をみてみると、ある事情を抱えて入会している者の存在に気付く。
 本報告では、向上会という組織がいかなる組織なのか、歴史的経緯にも触れながら整理する。そして、向上会に所属する彼らが、祭礼のなかで俄を演じるということに、どのような意味が付与されているのか考察してみたい。

2015年5月5日火曜日

第一回研究会のお知らせ

第一回研究会のお知らせです。
来聴歓迎いたします。

日時:2015年5月24日(日)14時00分~
会場:早稲田大学人間総合研究センター分室(27-8号館)
   (東京都新宿区戸塚町1-101 高田牧舎2F)


【発表1】
 「“ページェント”から“郷土舞踊と民謡の会”へ―大正時代の小寺融吉―」
 舘野 太朗

 1925年10月、日本青年館の開館記念行事の出し物のひとつとして、「郷土舞踊と民謡」が上演された。この催しは、現在の「全国民俗芸能大会」等の民俗藝能公演の先駆けであるとともに、民俗藝能研究が進展するきっかけにもなったと考えられている。当初、開館記念行事として、「ページェント」と「郷土舞踊と民謡」の二案が検討されていたが、小寺融吉(1895-1945)の提案によって、後者の採用されたことはあまり注目されてこなかった。
 「ページェント」とは、坪内逍遥(1859-1935)が、1920年代に日本へ近代パジェントを紹介した際に用いたことばである。逍遥は、理論と実践の両面でページェントの定着を図った。小寺は、逍遥の弟子として、それを引き継いだ。著書の『近代舞踊史論』でページェントを論じるとともに、1922年7月には増上寺で自作のページェント『お竹大日如来』の上演も経験している。その小寺が、開館記念行事でページェントを退けたのには、「郷土舞踊と民謡」にページェントの本質を見出したからではないだろうか。逍遥は、ページェントを「民衆自身のために民衆自身が作りもし演じもし経営もする所の劇的演藝」と定義し、彼の提唱するページェントの先行形態として、祭礼や民俗藝能を例示していた。逍遥自身が民俗藝能に関与することはなかったが、小寺を中心とする「早稲田派」の人びとを介して、民俗藝能の公開に少なくない影響を与えたのではないか。本発表では、逍遥と民俗藝能の関係を、大正時代の小寺融吉を手掛かりとして検討したい。

【発表2】
 「近世村落に継承された武の近・現代史」
 田邊 元(早稲田大学スポーツ科学学術院 助手)

 本報告では、近世村落で継承されてきた武術伝承が、近代を経て現代に至るまでに、どのように伝承されてきたかを明らかにしていく。
 今日、日本武道は国内においては学校体育で必修科目となり、また国外においても多くの実践者を持っていることが知られる。日本を代表する文化として取り扱われる武道であるが、学術的関心の対象として、武道研究領域において多く研究が行われてきた。特に、日本武道の人文学的研究は、主として歴史学的な観点からなされる武道史(武術史)と、思想史・哲学的な観点からなされる武道論の2つにおいて豊富な知見の蓄積をしてきた。その背景には、いずれの観点においても利用できる、多くの史・資料が存在しているためといえる。
 一方で、こうした背景を持つ研究史は武士が伝承した流派武術の研究に偏っていることが指摘されている[榎本・和田 1995]。江戸時代の武術史を研究する榎本鐘司は武士以外の身分が行っていた流派武術を「農民武術」と呼称し、これらについても武道研究において取り扱う必要性を主張している。我々がこんにち目にする競技武道は農民武術を一起源としているためである。しかし現在、農民武術の研究は進展していない。加えて述べれば、江戸時代の身分制度における農民武術が、その後、明治時代となり現在に至るまでにどのように継承されてきたのか、この点についても研究はされていない。
 以上のような背景に対して、報告者は流派武術由来といわれる民俗芸能を対象として扱うことで、研究状況の打破を目指している。本報告では、まず前述のような民俗芸能が、なぜ武道研究の対象とされて来なかったかを示す。そして、対象とすることで描かれる、農民武術の近・現代史を示していく。

2015年2月20日金曜日

第1回研究会へ向けて

2015年2月14日、早稲田大学戸山キャンパスにて、研究会始動に向けた話し合いを実施しました。
第1回研究会は、2015年5月24日に早稲田大学にて開催する予定です。詳細はあらためて告知いたします。