2015年8月20日木曜日

第三回研究会のお知らせ

第三回研究会のお知らせです。
今回は成城大学が会場です。
来聴歓迎いたします。事前に以下のアドレスまでメールをいただけると幸いです。
geinoubunka〇gmail.com(〇を@に変えてください)

日時:9月12日(土) 14時~
場所:成城大学3号館7階ラウンジ
   (東京都世田谷区成城6-1-20)
発表者:伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員)・田村明子(成城大学大学院)











































【要旨】
伊藤純(早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員)
「民俗芸能の文化資源化と自律的伝承―三宅島の牛頭天王祭の太鼓を事例にして―」
 伊豆諸島の一つ三宅島。島には「神着木遣太鼓」という芸能が伝えられている。和太鼓に興味がある人ならば、三宅島と太鼓というワードで、佐渡を拠点とし世界に活動を広げる太鼓集団・鼓童の「三宅」という演目を想起する人も多いだろう。単純化すれば、三宅島の民俗的身体文化の一つであった牛頭天王祭の「太鼓」を素材として、鼓童が舞台芸術化して創出されたものが「三宅」という演目といえる。そして、現在では鼓童のみならず国内外で広く叩かれる和太鼓の代表的な演目の一つになっている。
 祭の構成要素の一つにすぎなかった「太鼓」とその技術は、島内では文化財指定を機に命名された「神着木遣太鼓」として定着し、島外では「三宅」として人々の手に広がっている。こうした文化資源化の過程で、さまざまな位相の芸能のネットワークが構築され、現在の祭に少なからず影響を与えている。本発表では、昭和45年の保存会発足以来、「神着木遣太鼓」の名手として知られるメンバーの語りをもとに、およそ50年のテンノウサマの変化をみる。我彼の関わりのなかで生じた舞台化への抵抗感、技術の巧拙、地域社会への新たな芸能のネットワークの受け入れ、祭での振る舞い、人口流出など当事者が当たり前に抱える課題への葛藤と克服のなかから、祭と民俗芸能がどのように自律性を担保しているかに注目して考察する。

田村明子(成城大学大学院)
「神楽の伝え方と見せ方―稽古の在り方を通して―」
 民俗芸能は稽古によって継承が行われる。この稽古の場や方法は、各々の民俗芸能や地域によって異なり、伝承上では相関関係が認められる民俗芸能であっても、双方の稽古の在り様まで同じであるとは限らない。このような稽古の相違は、民俗芸能の奉納や上演に多かれ少なかれ影響を与えると考えられる。あるいは逆に、奉納や上演の在り様がそれぞれの稽古を形作っているとも考えられる。
 本発表では、現在も関東で伝承される採物神楽のいくつかを対象とし、その稽古の在り方に着目する。埼玉県には、いくつかの著名な採物神楽が伝承されている。それぞれが神社に所属し、基本的には神社の例祭で奉納される。鷲宮神社で伝承される土師一流催馬楽神楽は、神楽殿と参集所の二か所で稽古が行われる。それぞれの場所で行われる稽古の参加者は異なっており、稽古の方法にも差異がある。参加者の差異は催馬楽神楽の歴史、また教育機関や自治体などの外部組織との関係に由来しており、そしてこの差異が、それぞれの稽古の方法にも違いを生じさせている。一方、東京都内に拠点を置く採物神楽は、埼玉県内の神楽とは様相を異にしている。新宿を拠点として、都内の複数の神社で神楽奉納を行っている萩原彦太郎社中は、区営の市民センターや神楽師の自宅で稽古を行う。これは、萩原彦太郎社中が特定の神社に所属する神楽師集団ではないためである。
 催馬楽神楽や埼玉県内のいくつかの神楽は、それぞれ独立して稽古を行っているが、萩原彦太郎社中は神楽師集団である若山社中から招いた神楽師を師匠とし、全員が一人の師から教わるという形式での稽古を行っている。このような形式は、萩原彦太郎社中と若山社中が、集団としては兄弟的な関係にあたること、また奉納にあたっては互いに連携を取り合っているという事情とも関わっている。必然的に、萩原彦太郎社中と若山社中の神楽には共通点が生まれる。他方、催馬楽神楽を始めとする埼玉県内の神楽保存会は、交流は皆無に等しい。それぞれの神楽保存会が独立していると言うことができる。
 本発表では、各神楽の稽古を通して、神楽あるいは担い手である神楽師が何を伝え、何を見せようとしているのかについて検討を行う。これによって、現代社会における神楽の継承の在り方が見えてくるものと考えられる。